
(学)淳心学園 認定こども園 海星幼稚園
園舎玄関
マリアさまとお花が待っています
中学生の頃の私の「マイ・ブーム」といえば、人の誕生日やクリスマスのプレゼントに短い詩を添えて贈ることでした。
ある日、従弟のために詩を作ろうとアイディアを集めていると、別の詩が降りてきて、素早く書き留めることとなりました。
単純でありきたりな一行からはじまります。「わたしは誰? 知ることができたらいいのに。」つづいて、ある戸惑いについて分かち合っています。自分が誰といるかによって、思い、言葉、行いが変わってしまうという当惑です。そして最後には、希望の装いを帯びるのです。いつか私のもつ関わりとは切り離されたところで、自分を捉えられるように、本物の自分を理解し、さらに「ほかの人たちだけが知るこの人」をつかみとる時がやってくることを願いながら、詩を終えています。
この小品には少しだけ満足できたのを覚えています。詩の流れ、押韻、そしてことばあそびにも気に入っていました。またそのとき、楽観的に感じられたのも覚えています。探していた自分は手の届くところに、思春期を過ぎればもう間近にきているのだと。
ところが、それから今日に至るまでいくつもの道の曲がり角を曲がってきて気づいたのです。
変わることのないアイデンティティを探し求めるなんて、かなりロマンチックなものだと。
そんなものがもとからあるはずがない、などと言っているわけではありません。よくわかりません。わかるのは、人生の次の曲がり角には、いつも別の種類の関わりがあり、そしてもう一つのヴァージョンの私がいたということです。
例えば息子とか、母親とか、CEOとか、変わることのない単独の関係、それだけのかかわりを超えたところにあるアイデンティティを見つけ出すことは、たしかに大切なことです。こうした単一の関わりに基づくアイデンティティというのは、なにか変化が起きた時には、ことさらに私たちを脆くも壊れやすくしてしまいます。それも実際によく起こることなのですが。
それでも、私たちは自らの多様な関わりを通して、成長してゆくのだと、今さらながら実感しています。私たちは家族や共同体の一員になることによって、本来的な自分になれるのです。おそらく、私とあなたとのあいだのスペースにおいて、自分を見つけることになるのでしょう。