この(Colleen's Corner)は少し視点を変えたエッセイです。
(カトリック教育施設の写真も毎回掲載します)

岡山聖園幼稚園
七五三のお祝いで祝福をいただきます
自然の恵み みかん狩り
私がまだ二十代半ばのころ、フィリピンで大学生に聖書学の授業を担当する機会がありました。マニラに来て一年ほどしたころ、ある修道女会から二日間のワークショップを指導するよう招かれました。
そのトピックはというと、私自身がまだプロフェッショナルとしても個人的にも準備のできている段階にはないようなものでした。
「人生第三期の霊性のための聖書的基盤」というものです。ゆるく言い直すならば、「老いて人生の意義を見つけるにあたって、聖書はなにを言いうるか!」ということになります。
実をいうと、当初この半ば引退したシスター方のグループのための講話を依頼されたのは、三十歳以上年上の私のメンターでした。当時この方はたいへん忙しく、あまり考えずに、私がそのワークショップを指導できる、と推薦したのでした。私もそんな機会をいただけるなんてありがたいと感じ、それほど考えずに引き受けたという次第です。
実際それは喜びにあふれた二日間となりました。都市の喧騒から離れた美しい黙想の施設で開催されました。空気は清々しく、シスター方はあたたかい方ばかりでした。
ところが、講義自体はせいぜい月並みなものに終わりました。もちろん事前にメンターからは短いヒントや激励をもらい、自分で二、三のアイディアを発展させ準備はしていたのですが。また、私がどれだけ聖書の物語とフィリピンを愛しているかを伝えることは十分にできた、と満足していました。だからといって、これで充分かと言えば、それとは程遠いものでした。私の知識は断片的でしたし、人生経験も不足していました。さらに、私が浸かっていたはずの土地の文化について、当時はまだほとんど知ってはいなかったのです。
少しばかりの後悔を携えて、日曜日に街に戻っていきました。
ところが、期せずして私はわくわくするものを覚えていたのです。ワークショップが終わり、この経験を通して、なにか新しいことが始まろうとしているかのように感じていたのです。自分に足りないものをしっかりと自覚したうえで、さらに前に進んでいくことを待ちきれずにうずうずしていました。
この二年間に及んで「心のともしび」でコラムを担当し執筆するという経験は、これと同じように恵みにあふれた経験でした。
次回は12月21日にこの続きを掲載します。