2025年03月のコリーンのコーナー

(大阪・和泉市)
(学)スピノラ学園 双百合幼稚園
十字架の道行き ルルドのマリアさま

好機を逃さない ②

 「これから起こりうるチャンスには、ほとんどラベルづけができない」。

 若い頃には、こんな名言に思いを致すこともありませんでした。でも今ならば、当時の自分にそれがどんな意味をもっていたかを、容易に想像できます。「なにか大きなことを経験する機会にそなえて、しっかりと目を見開いていなさい!」、といった意味をもっていたのでしょう。それでも、今や安定した人生に収まってしまった私にとって、この格言が若い時とは幾分違った意味合いをおびてくるのでは・・と思わざるを得ませんでした。

 そう考えつづけていると、「好機」に恵まれた「港」という点に気づきました。これが卒業アルバムに載った友人の「引用の言葉」へと、また結びつけてくれました。

 この「好機」opportunityという言葉はラテン語を起源としますが、それは文字通り「港にむかって」という意味なのです。敷衍(ふえん)するならば、「時宜にかなった時」という意味で、風がちょうど安全な港にむけて吹いているときのようなタイミングのことです。

 この解釈に耳を傾けると、この引用に含まれた教訓は、若かったときと同じように、今の自分にも意味をもつものだと感じられました。なにか大きなことを経験できる機会にそなえて、目をしっかりと見開いていなさい!と。

 一つだけ変化したものといえば、「大きな」という言葉の意味くらいです。人生を新たに変容させてしまうような冒険の可能性には、今でも開かれていると思っています。それでも、すでに与えられた人生を深めるきっかけとなる「小さな」機会も、それに劣らず大切な気づきであり、等しく重要なものなのです。

 さて、私には毎朝、30分ウォーキングをするという日課があります。  このようなことを考えていたのは、実は近くの公園で山々の素晴らしい眺めを背景に、歩いているときのことでした。何ヶ月ものあいだ、毎朝公園をぐるっと周るうちに、お年を召した二人の男性とすれ違うことがありました。

 20歳も年配でしょうか、一緒に並んで歩いては、おしゃべりをしています。通りすがりに互いに頭をかすかに下げるのです。ある朝、その二人のうちの一人が、前を歩いていました。ときにふり返って公園の入り口に目をやっては、いつもの相棒を探しているようです。
 私らしくもなく、一瞬にしてその人に追いつくと、そのペースにあわせて歩きはじめました。ことばを交わしながらその公園を何回か周り、家に戻りました。

 その朝の予期せぬ出来事は、人生を変えるほどのものではありません。それでも、寒い日のいつもよりゆっくりした歩調は、私の心を暖めてくれました。

 私は未だに一人で歩きつづけていますが、見知らぬ人との朝のちょっとした会釈も、上辺だけの仕草以上の意味をもつようになったかもしれません。

次回のお話は4月6日に掲載予定です。