(札幌) 藤女子中学校・高等学校
校舎(生徒玄関)と聖堂
正直、毎朝、新聞もテレビもラジオも見るのも聞くのも怖い現代社会になっています。人の心を和ませてくれるような、暖かいラジオ番組といえば「心のともしび」(自画自賛)?
2019年のコロナ感染で始まり、ウクライナとロシアの戦争、本当に殺伐とした社会です。
そんな現代社会に、すでにメッセージは沢山寄せられていました。しかし、我が国の人は皆、平和ボケしていたのでしょうか。
日本のカトリック教会では、2008年11月24日に長崎で日本の188人殉教者の列福式が行われました。(また、2017年2月7日には、大阪でユスト高山右近の列福式がありました。)
この列福式は、江戸時代日本全国で188人もの人が殉教したという史実だけでなく、殉教者たちがご自身の死をとおして現代に生きる私たちへの深い「メッセージ」が含まれていたことに注目したいのです。今回は特に、188人殉教者から「殉教者の心と現代人の心」に触れてみたいと思いました。そこには、現代に生きる私たち日本人が忘れてしまった大切なことを、殉教者たちが伝えていることに気付かされたからです。
1. 信じること;
殉教者たちが共通してもっていたものは、「信じるかた」がいる、神様の存在を確信していたということです。だから最後までイエス・キリストの苦しみを自分の苦しみとして信じぬくことが出来た。そこに絶対者なる方・神の存在の確かさが証されています。
これはキリスト信者だからそれが出来たというふうに理解してしまったら、信者でない人にはメッセージとなりません。しかし、どうでしょうか。「信じる」ということは、なにも神様だけに限ったことではありません。
私たちの日常生活の中で、相手を信じることによって互いに信頼関係が生じ、そこに人間としての交わり、さらには愛へと繋がっていくのではないでしょうか。誰のことも信じることがなかったら、その人の人生はいったい何のためと疑わざるを得ないし、そんな人生とても不幸だと思います。親、兄弟姉妹、親戚、友だちみんな信じ合えれば、素晴らしい人間関係の中で生活することが出来るのではないでしょうか。
現代社会においてこの最も大切なことが忘れられているのです。
2. 希望すること;
「決して絶望してはならない」。近年、自殺する人が再び増加し、その数なんと年間二万人から、統計に表れてこないケースもあわせると、三万人近いと言われています。また、毎日のように殺人が繰り返されています。現代社会は、勝ち組、負け組という、人間の尊厳を無視したような言葉があたりまえのように話され、希望を失っている人々をさらに死の淵に追いやっていることに気付いていません。目を海外に向ければ、もっと大きな問題を目にします。民族間の争いが高じて、殺し合い、戦争が勃発。数えればきりがないほど次々に出てきます。
しかし、こんな時代だからこそ、どんな境遇に置かれてもどんなに苦しくても悲しくても淋しくても、決して希望を失わないこと、希望を失わなかった殉教者がいたこと、そのことを思い起こす。彼らは確かに殉教してしまいましたが、彼らの残したメッセージが今日の世界に甦り、私たち人間の心の中に息づいていることです。
3. 愛すること;
殉教者たちはただ無為に死んだのではなく、愛のゆえに命を捧げたのです。その捧げた友とは、イエス・キリストに他なりません。私たちの生活は人に取り囲まれ、息つく暇もないほどです。悩み緊張のほとんどが対人関係かも知れません。沢山の人に囲まれているのに、孤独を感じます。それは周りの人を「友」として愛せないためでしょうか。時として自分に何かを与えてくれる人しか友と認めないのです。
イエスは十字架上で、全ての人々のために祈りました。ただ自分を慰めてくれる人だけではありませんでした。神の子として作られた全ての人々を愛されました。殉教者たちも皆、迫害する人々の為にも祈ったのです。殉教者たちは、イエスの模範に倣って、文字通り一つの心になった人々です。
これらのことは、殉教者たち皆が共通に証していると言えるでしょう。
心のともしび運動 松村信也