(愛媛)学校法人 愛光学園
全景と聖堂
人の心の中にある悩み、緊張感、感情的不安、喜び、などがもっと典礼の中に表現されれば良いでしょう。典礼は共同体的な恵みです。個人のときは一人で祈ればよいでしょう。典礼は共同体的であるのです。
「心を活かす表現は神学や理論ではない」ということです。心を動かすのは、歌とかシンボルです。体と心で感情を表すことが大切なんです。良い典礼は、動き、歌、水、ぶどう酒などのシンボルで心の動きを表現します。
秘跡や典礼の構造は、100%シンボリックです。つまり、人が普通の言葉で言えないことをシンボルは表現することが出来るからです。深い感情は、言葉ではいえないのでシンボルで表します。これは日常でいつも体験していることです。心の深みは、言葉で表現できないので、様々なシンボルで表現しあっています。
例えば、結婚しようとする二人のやり取りも、シンボルに満ちているということです。手を取り合ったり、プレゼントを交換したり様々なシンボルで心を伝えあうのです。言葉では伝えられない心を伝える為に、いろいろなことをします。
典礼でも私たちの心をシンボルで共同体として表しています。イエスも深い感情を最後の晩餐で寂しさの中で表されるのにシンボルを使われました。これは、シンボルとして深みのあるものです。秘跡は行動的なシンボルです。典礼のシンボルは行動的です。イエスは行動やシンボルで話し、神の国を表現されたのであって、定義はされていませんでした。だから、いつも譬え話で話されたのです。
神の国はドラマです。したがって典礼は、祈りだけではなくドラマなのです。残念ながら行動的な典礼が希薄になったのは宣教師の影響であろう。19世紀に入ってきた典礼は、ヤンセニズムの影響がありセレモニー的で、仏教的で静かな沈黙を大切にする典礼となって、動きが殆どなくなり、祈りの場となっていきました。現在の典礼では司祭が動くだけで、会衆は殆ど動きません。典礼の本質から見るとき、典礼としては少し弱い気がします。動きがないと心の動きが支えられないからです。
心のともしび運動 松村信也