カトリック丹後教会 宮津教会堂
⑥小教区における刷新された共同体−2 最終章
=信仰を生きる=
教皇フランシスコの姿が、新聞やテレビで放映されるたびに「信仰を生きる」とは何か、その具体的生き方を教えられます。そこに見られる信仰とは、毎週ミサに与かること、小教区の活動に参加すること、現代社会の問題をただ批判すること、何か特別なことをするといったことではなく、人としてあたりまえの愛徳を実践する姿です。つまり、自分の目の前に置かれた現実をありのまま受けとめ、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人に「あなたの愛の手を差し延べる」ことなのです。
教皇のその姿を見るとき、それが誰の目にも自明であり、心を和ませられるのは、人として自然なありのままの姿を、人間の本来あるべき美しい姿として、そこに発見できるからでしょう。
「イエスは言われた。『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。』(ルカ6:37)」このパンの奇跡の箇所の言葉は、まさに弟子たちを通して私たちにもその奇跡の実践を可能ならしめる教皇の姿なのではないでしょうか。これこそ信仰の実践であり、信仰の生き方なのだと思います。信仰に生きるありのままの生き方とは、戴いた信仰に喜びと感銘に与り、それを隣人とも分かち合うことで個人の信仰を深め、神の望まれる人に近づいていくのです。
第二バチカン公会議の指針は、すべての人に開かれた教会となり、「教会が人びとの喜びや悲しみ、分裂や争いの問題を自らの問題として受け取り、共に生きること、つまり、社会に開かれた教会は、すべての人と共感、共有しながら生きる」ことなのです。それはまた個人で難しい場合は、共同体なら一人ひとりに与えられた力を結集して、地域の人たちと具体的に関わることで可能になるでしょう。そのために信仰共同体の絆をさらに強くし、そのつながりの輪が教会共同体、地域共同体へと発展していくことを願い働くのです。
"信仰に生きる民の働き"とは、何がどこまで出来たかを人と比較することではなく、一人ひとりがすべての人の救いと和解の一致を心から願っているのかを知ること、そのために惜しみなく自分に出来るありのままの生き方を神に捧げることなのです。
「私たちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから」(ロマ12:6)、その賜物に応じた働き方を使徒職で生かしていく。またすべての人と「兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思い」(ロマ12:10)行動する。そして、キリストが「神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた」(フィリピ2:6-7)ように謙遜であり続ける。それらが日々の生活の中で具現化することによって、この世の人びとを信仰に導き、普遍と呼ばれるカトリックの真理を理解して戴けるのです。
それを実践していくためには、必然的に苦しみ・犠牲が伴うでしょう。しかし「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(Ⅰコリント13:4-7)。つまり、自分の中に"キリストの救い"を実現していくことによってこそ、真にキリストを証することができるのです。なぜなら、『信仰の道は、自分の思いから神の思いへの立返りを繰り返す努力の道』だからです。イエスの弟子ペトロは、幾度も幾度も立返りを繰り返し、生涯かけてようやく主と同じ道を歩まれたのです。
イエスが大切にする「コイノニア・交わり」、その具体的手段はコミュニケーションです。
ところがコミュニケーションを取ることの難しさ、共通理解をすることの難しさ、ましてやキリストを知らない人と関わりを持つことの難しさは、確かに、一朝一夕に克服できるものではありません。しかし、日常生活の中で人とコミュニケーションを続けることによって、昨日よりは今日、今日よりは明日の違いを感じられるのではないでしょうか。
コミュニケーションとは、「社会生活を営む中で人間同士が互いに知っていること、学んだこと、いろんな正しい情報などについて、自分の言葉、文字、視覚、聴覚を使って感情と共に相手に伝えること」です。
現代社会において、このコミュニケーションの欠如、特に言葉による対話不足から沢山の誤解が生じて、殺伐とした人間関係になってしまっていることは自明です。キリスト者にとってコミュニケーションは、神の愛・出会いの喜びを共感し、共有できる貴重な"交わりの時"であります。それはまた、現代に生きるキリスト者の「信仰を生きる」自然なありのままの姿ではないでしょうか。
イエズス会員 松村信也
2021年10月に始まりました「知っとこコーナー(キリスト教の歴史)」の記事は一旦ここでお休みさせていただきます。
長い間お読みくださいましてありがとうございました。
どうぞこれまでの記事もお読みいただければ幸いです。
第一回はこちらです。
感謝を込めて。 イエズス会員 松村信也