2022年10月のキリスト教の歴史
シュテファン大聖堂(ウイーン)

明日の教会に向けて

②第二バチカン公会議公文書-2

『信徒使徒職に関する教令』

第二章:その到達すべき諸目的

 神の国とこの世の区別はありますが、これを関係のないものとして考えるのではなく、この世の人間は、生活を通して人間性を完成していく場所に置かれています。その完成とは、即ち、キリストの福音を世に知らせることと、キリストの恩恵を世にもたらすことです。

 教会の使命は、人々の救いに関わっていますが、その救いはキリストへの信仰とキリストの恵みによって達せられるものです。したがって、教会とその全ての構成員の使徒職とは、まず、言葉と行いによりキリストのメッセージを世に告げ知らせ、キリストの恵みに与らせることにある と。なぜなら信徒には福音化と聖化と言う使徒職を行う機会が無数にあるからです。キリスト教的生活そのものによる証と、超自然的な精神で行う善行は、人々を信仰へまた神へと引き寄せる力を持っているからですと述べています。

 神ご自身が人間の中に植え付けられた自然の人間性、それは、人間の魂の奥にある無限なる充足への憧れ、人間精神を飾る知恵、意志、良心、そして人間に潜在する本能であり、欲望なのです。これらを正しく活かしつつ自らを向上させて高度な人類文化である大共同体をこの世に築くこと、これが神の望みであり神への愛と人間相互の愛は一つのものだからです。「人々が現世の事物の秩序全体を正しく構築し、キリストを通して神へと秩序づけることができるようになるために熱心に努力することは、教会全体の務めである」からです。

 信徒が真心をもって同胞に尽くす愛といたわりは、神への愛に直結します。愛の活動は、・・食料、飲料、衣料、住居、医薬、仕事、教育など、人間らしい生活を送るために必要な諸手段を欠いている人々、困窮と病気に苦しむ人々、追放や投獄の憂き目に遭っている人々がいるところはどこでも、キリスト教的な愛は、彼らを捜し出し、手厚い心配りで慰めを与え、援助を施して重荷を軽くしなくてはならない。・・・裕福な生活を築いた個々人や国民が負うべき義務だといえようと。また、それらの援助を受けるものたちが徐々に外部への依存から解かれ、自足できるような方向に持っていかなければならない。・・・愛の業や社会扶助の事業については、私的なものであれ、公的なものであれ、また国際的なものであれ、全ての善意ある人々と協力しながら、それらを重んじ、力に応じて支援しなければならないと記述しています。

 

 したがって、すべての活動の根底において、キリストによって示された愛が深く根ざしていないなら、それらは真に信徒の使徒職ではなく単なる社会運動にすぎないものになるでしょう。