2023年01月のキリスト教の歴史
サンタ マリア デル カミーノ教会(スペイン バレンシア州

明日の教会に向けて

③ヨーロッパにおけるカトリック教会の信徒使徒職の変遷-1

 「信徒使徒職に関する教令」の締めにあたり、カトリック教会の歴史の中で開催された公会議は、なぜ開催されたのかを衆知しておく必要があるでしょう。何故ならいつの時代、どのような人でも、地位、名誉、権力のいずれかを手中にする時、あたかも自分が世界の中心であるかのように錯覚してしまうからです。カトリック教会の教理史を改めて振り返るとき、是非、一人でも多くの信徒の方に知って戴きたいという気持で、このページを追記させて戴きました。それは、いずれの時代の公会議にもいろいろなプロセスがあり、そこに聖霊の働きが開催へと導いていたことに気づかされたからです。

 さて第二バチカン公会議では、カトリック教会の牽引者であるヨーロッパにおける聖職者と信徒の関係の変遷を見るとき、その中で信徒の積極的な使徒職の動きが見られます。  言うまでもなく、教会改革の牽引となってきたのは、ヨ-ロッパであり、第二バチカン公会議の変革も含めすべての公会議はヨーロッパの教会の必要に応じて、開催されたものであるということを我々は認識しておく必要があります。

 これを前提として、聖職者と信徒の関係の発展段階をみると4つの段階に分けられます。それらは主として変革への多くの情熱に対して、答えがなされていたということを知ることができます。その段階とは、①強力な位階的教会と無力な信徒との間に、大きな隔たりが存在した(特に16世紀~19世紀)。②信徒が位階性の重要な助け手となる(19世紀から今世紀への変わり目の前後)。③信徒が位階的な聖職者の使徒職に参加する。つまり、信徒も使徒職の一端を担うカトリック・アクションを行う (第二次世界大戦後) 。④神の民として信徒が直接に教会の使命に参加する(第二バチカン公会議以後)のです。これらの変遷の中において、信徒の使徒職の動きがみられます。

 それは②の段階から始まっている:19世紀の中頃以降、ドイツでは信徒の協力をより組織的に要請する推進運動が起こり、非常に活発な団体が、それぞれの必要に応じて沢山創られていった (これらは後にヨーロッパ諸国に広がっていく) 。例えば、マリア信心会のように純粋に宗教的な結社、良い本や好ましい出版物を普及するための団体、宣教を援助し移民 (ラファエル会) やプロテスタント地域に散在しているカトリックを支持するための団体 (ボニファティウス会) 、またビンセンシオ・ア・パウロ会とその他の慈善団体、更に、カトリックの学生や芸術家の団体、殊に徒弟や農民、労働者を集めてかれらの職業的利益を守り、同時に道徳的・宗教的連帯を計るための団体が創られていきました。

 これらの団体の多くは信徒がリーダーとなり指導さえもしており、司祭はそれらに大幅な活動の自由を認めていました。19世紀におけるドイツのカトリック運動はしだいに聖職者との隔たりを狭めつつ発展していったのです。この影響は間もなくフランスに及び、益々増大していくことになりました。1903年には、イエズスの聖心への特別な崇敬を誓った信徒会が、レオ13世によってローマに設置されました。この信徒会の設置と初金曜日の聖体拝領の実施は、この時代を通して、聖心の崇敬と聖体の崇敬との間に存在していた密接な関係を浮き彫りにしています。そして、ピオ10世の時代になると更に頻繁な聖体拝領と子供の聖体拝領も勧められることになりました。このことから端を発し、第一次世界大戦以降の典礼運動 (マリア・ラーハのベネディクト会士達、特にオド・カーゼルを中心としたグループによって唱導され、カトリック青少年運動とクロスターノイブルクのピオ・パルシュの指導とによって広がっていった典礼刷新の運動は、しだいに他のヨーロッパ諸国にも浸透し始めていきました。ミサと聖体拝領、そしてまた聖書の朗読と宣教が、キリストの神秘体の実現の本質的な姿と捉えられ、小教区や種々の小グループにおいて実行されたのです。

心のともしび運動  松村信也