そのとき、イエスは弟子たちに言われた。
「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」
その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」
本日の聖書は、世の終わりの救いの完成に目を向ける内容となっています。
ガリラヤの田舎からエルサレムの都に上り豪華な神殿を見た弟子たちは「なんとすばらしい建物でしょう」(マルコ13・1)と感嘆の声を挙げました。そのような弟子たちに対してイエスは、神殿のすべての石が崩れ去り滅びていくと語りました。
ここでは、世の終わりのしるしとして、「いちじくの木の教え」が述べられていることに注目したいと思います。
「世の終わり」と聞いて、皆さんはどのような情景が思い浮かぶのでしょうか? 「恐ろしい裁きの時」や「人生の終末」と重ねて「枝が枯れる、葉が落ちる、秋から冬を迎える」イメージでとらえる人が多いのかもしれません。しかし、イエスは、「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる・・天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と、いちじくの木の伸びゆくさまを例に挙げて、世の終わりとは、主の御旨が全世界に行き渡り実現される喜びの日であることを教えてくださったのです。
わたしたちは使徒信条でイエス・キリストが「生者と死者を裁くために来られます」と唱えます。「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(ヨハネ14・3)とイエスは約束されました。その時がいつなのか分かりませんが、必ずキリストの再臨があることをキリスト者は信じています。
祈りましょう。
死は終わりではなく新しい始まりであることを私たちは知っています。同じように、世の終わりは新しい始まりであり、主の御許に上げられる喜びの日であることを信じています。
善き準備をして善き日を迎えることができますように。アーメン。
参考:(第一朗読:ダニエル12・1-3)・(第二朗読:ヘブライ10・11-14、18)