そのとき、イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
この女性の献金額は現在の金額に換算すると百円程度だったようです。イエスが「だれよりもたくさん入れた」と言われたのは、量ではなく質を指してのものでした。「持っているものをすべて」という表現は、天の国を譬えた「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13・46)と同じものです。
この女性は「天の国を心から祈り求めて生きている人である」とイエスは言われたのです。
*やもめ(寡婦)とは、当時の男性中心社会の中で自分を守る夫を失った人であり、孤児、寄留の民(周囲に自分を守ってくれる同胞のいない外国人)と並ぶ社会的弱者の代表でした。
*パレスチナ、イスラエルに平和がもたらされますように。
神はモーセを遣わして、エジプトでの奴隷生活からユダヤ人を解放してくださいました。そして「あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持ちを知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからである」(出エジプト23・9)とお命じになりました。寄留者として苦難の道を歩んできたパレスチナとイスラエルの民は、どの民族よりも寄留者の辛さを知っている人たちです。
祈りましょう。
両民族間の対立の根底に土地の奪い合いがあり、合意点を見つけることが困難な状況にあることはわかっています。それでも、同じ神を崇拝し共通の聖典を持つ兄弟です。どうか対立ではなく、政治・宗教の指導者たちが和解の道を探り、和平実現を最優先に歩んでいくことができますように。アーメン。
参考:(第一朗読:列王記上17・10-16)・(第二朗読:ヘブライ9・24-28)