そのとき、ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
「わたしは天から降って来たパンである」というイエスの御言葉を聞いたユダヤ人は、祖先がモーセに率いられてエジプトから脱出する途上で、神から与えられた食べ物マンナ(マナ)を思い浮かべたに違いありません。(参 出エジプト記16章)
マナの特長は、「すべての人が平等に、そして今日必要な量だけが与えられた」ということです。「念のために、自分や自分の家族の分だけでも蓄えておこう」という思いから不平等が生まれ、争いへと発展することがないようにと、神は準備してくださったのです。
わたしたちの世界はどうでしょうか? 持てる者はさらに富を貯え、持たない者はその僅かな物さえ失ってしまうという、神の思いとはかけ離れた世界になってはいないでしょうか?
「世界中から飢餓をなくす」ことは、国連総会で2030年までに達成すると決定された「国際開発目標」の一つです。現在、地球上のすべての人が生きていくことができるだけの食物が生産されているそうです。ところが紛争や富の配分の不平等によって、多くの飢餓に苦しむ人がおられるのが現状です。
祈りましょう。
この現実の中で、私たちにできることをなす勇気をお与えください。マナによって神が示してくださった、一人残らずすべての人が愛と平和のうちに生きる世界を築いていくことができますように。 アーメン。
「分け合えば」 相田みつを
うばい合えば足らぬ 分け合えばあまる
うばい合えばあらそい 分け合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ 分け合えば喜び
うばい合えば不満 分け合えば感謝
うばい合えば戦争 分け合えば平和
うばい合えば地獄 分け合えば極楽
うばい合うと 足らないけれど
分け合うと あまっちゃうんだなぁ
参考:(第一朗読:列王記上19・4-8)・(第二朗読:エフェソ4・30-5・2)