2024年01月13日の聖書の言葉

1月14日 年間第2主日 ヨハネ1・35-42

 そのとき、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ、──『先生』という意味、─―どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア、──『油を注がれた者』という意味、─―に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ、─―『岩』という意味、─―と呼ぶことにする」と言われた。

祈りへの招き

祈りへの招き

 「来なさい。そうすれば分かる」というイエスの招きの御言葉を味わいたいと思います。私たちは主の招きに応えることができているでしょうか? イエスの御言葉とは正反対の、つまり、まず「分かること」を求めて、「分かった」後に「ついて行きます」という順番になってはいないでしょうか?  私たちは、自らの人生において、何を求めるべきなのか、実はよく分かっていないことが多いのではないでしょうか?
 神の招きは、通常人を通して伝えられるものです。頭で理解できていなくても、この方について行けばきっと与えられる、この招きに応えればきっと見つかる、そう信じて行動した彼らはイエスの弟子となることができました。

 祈りましょう。
 主の招きに心を開き、人を通して語られる主の呼びかけに応える生き方をすることができますように。 アーメン。

参考:(第一朗読:サムエル上3・3b-10、19)・(第二朗読:1コリント6・13c-15a、17-20)