2023年07月01日の聖書の言葉

7月2日 年間第13主日 マタイ10・37-42

 その時、イエスは使徒たちに言われた。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。

 あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 本日の福音書は、「派遣説教」の最終場面です。人生において家族の存在は欠くことができない大切なものです。しかし十字架を背負い、弟子としてイエスに従うためには、イエスとの関わりを最優先しなければならないと諭されました。「自分の命を得ようとする」=「イエスとの交わりを持たずに生きようとする」。「イエスのために自分の命を失う」=「イエスが十字架を通して示された生きるべき命を得る」。「宣教者をもてなす」=「イエスを迎え入れる」=「神を迎え入れる」。ことなのです。

*キーワード1:自分の十字架を担う
 「自分の十字架を担う」とありますが、何を担うのでしょうか? 「自分自身の苦しみを背負う」ことなのでしょうか? 少なくともイエスは、ご自身の苦しみではなく、「人々の罪を自分の十字架として背負って」くださいました。イエスをお手本とするのであれば、背負うのは自分自身の苦しみではなく、「他者の苦しみや悩みを自らの苦しみや悩みとして背負い、寄り添い、共に歩む」ことではないでしょうか。

*キーワード2:冷たい水一杯
 たったコップ1杯の水とあるので、「僅かなこと」という意味に思えるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか? 冷蔵庫がない時代に、暑さが厳しい地域で「冷たい水」を得ることは、手間と時間を要するものでした。本田哲郎神父は著書『聖書を発見する』(岩波書店)の中で次のように述べておられます。
 「朝、水をくんで、素焼きの大きな瓶(カメ)一杯にしておきます。素焼きなので瓶の壁面の肌から水がにじみ出て、外の気温が50度ぐらいで乾燥しているので、すぐ蒸発します。その気化熱で、水瓶の中の水が冷える訳です。ですから、使わなくても、水はどんどん減っていきます。冷えた水は貴重品なのです。自分の目の前の貧しく小さくされた人たちにぬるくなった水ではなく、よく冷えた貴重な水を差しだすということは、まさに尊敬の念をこめた関わりを意味する言葉なのです。」

 「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、(最高のもてなしとして)冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」と読み直して、この聖句を味わってみてください。

*スモール・キーワード:和菓子「みなづき」
 ういろうに小豆をのせた三角形の和菓子。6月水無月(みなづき)の最終日に食べる習慣があります。室町時代、宮中では旧暦6月1日に氷を食べて夏バテを防ぐ風習がありました。当時、氷室(ヒムロ)と呼ばれる洞窟などの涼しい所で冬に氷を貯蔵し、雪やおがくずで囲んで保存しました。夏の氷は貴重品でした。氷が手に入らない庶民が氷に似せて創った和菓子なのです。

参考:(第一朗読:列王記下4・8-11、14-16a)・(第二朗読:ローマ6・3-4、8-11)