2023年06月03日の聖書の言葉

6月4日 三位一体の主日 ヨハネ3:16-18

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 本日の福音箇所は、イエスとニコデモ(ファリサイ派に属するユダヤ人の議員)との対話(ヨハネ3章1~21節)の後半部分です。ニコデモは、かつてどこかでイエスと出会ったことがあり、共鳴するものがあったのかもしれません。ある夜、ひそかにイエスを訪ねてきます。そして「あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」(2節)と告白します。しかし対話を重ねるうちに、イエスのことをまだよく理解できていなかったことが明らかになってくるのです。そのような状況の中で、イエスは本日の御言葉を語られました。

 ヨハネ福音書3章16節「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」という聖句は、「聖書中の聖書」「聖書のエッセンス」と呼ばれる箇所であり、「永遠の命を得るために私たちがなすべきこと」が記されています。
 ここで述べられている「世」とは、罪を犯して神から離れ、あるべき姿から遠ざかってしまった人間の姿です。しかし、罪にまみれ、神に背を向けた人間を、神はこよなく愛してくださり、なんと「独り子をお与えになる」という驚くべき方法で、救うご計画を実行してくださったのです。
 本日の福音箇所に「独り子」と「御子」が3回ずつ登場します。さらに、「信じる」という語句が何回も用いられていることから、神からの愛の働きかけに対して人がとるべき態度が「独り子を信じること」であることがわかります。

 神の愛の働きかけを「信じる」者は、信じる以前とは生き方が大きく変えられてゆきます。御子を通して示された父なる神の愛に強められて、イエスが示してくださった生き方に倣って、愛することが難しい相手や自分自身をも愛する人生を歩んでゆくことができますように。アーメン。

 

*キーワード1:永遠の命
 秦の始皇帝が「不死の薬」を探し求めていたことが記された木簡が2002年に見つかり、話題となりました。しかし、「永続する命」と「永遠の命」とは異なるものです。
 「永遠の命」とは、世の中が変わり人が変わっても、決して変わることのない神の愛の中に生きる命のことです。イエスはご自身を生かしている命を、ご自身を信じる者に与えて、共に永遠の命を生きるよう招いてくださいます。しかし、有限の時間の中を生きる私たちには、「永遠」や「始めがなく終わりがない」ことを理解することが困難です。
 西経一神父様(神言会)は著書『君へ、そして君のお母さんへ』(発行所/サンパウロ)の中で、"全集中"で受けた授業を例に挙げて、「時計で測れば50分という長さのあるものが、『アッという間』であるという事態の体験が永遠を感得する有力な手がかりとなります。......ひたすら、ひたむきな心でわれを忘れて何事かに取り組む時、君たちはいつか必ず終わるこのいのちの中で、永遠のいのちをかいま見ることができるんだ。『アッという間』という永遠を味わうことができるんだよ」と述べておられます。
 このご指摘は、「永遠」そして「永遠の命」を考えるヒントになるのではないでしょうか。

*キーワード2:三位一体の主日
 「四旬節」「復活節」が終了した直後に祝われる主日です。「父なる神」の「独り子」であるイエスのご受難、ご復活、そして約束された「聖霊」の降臨によって救いの歴史が完成されました。三位一体はイエスが教えてくださった神秘であり、私たちの理解を超えた恵みです。
 「父と子と聖霊の名によって」洗礼を受けたことに思いを馳せながら、心を込めて十字を切りたいと思います。

参考:(第一朗読:出エジプト34・4b-6、8-9)・(第二朗読:二コリント13・11-13)