そのとき、イエスは言われた。「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」
「羊の囲い」に「門を通らずに来る」盗人・強盗とは、イエスを救い主と認めないユダヤ教の指導者たちを指しています。
また「門番」とは、羊飼いであるイエスが出入りする門を守り、通り道を整える役割を果たしてきた「預言者たち」を指しています。旧約最後の、そして最高の預言者といわれる洗礼者ヨハネは、自身の役割について、預言者イザヤの言葉を用いて「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」(ヨハネ1:23)と語っています。
羊飼いは羊の名を呼んで門を通って羊を連れ出し、先頭に立って、草のある牧場に連れて行ってくれます。羊飼いと羊の間には、愛に満ちた信頼関係を見ることができます。
*キーワード1:「声を知っている」
門から出入りする「羊飼い」と柵を乗り越える「盗人」を外見で区別することは困難です。「羊はその声を聞き分ける」(3節)ことによって、良い羊飼いについていくことができると記されています。
私たちはどうすれば主キリストの声を聞き分けることができるのでしょうか?私たちの社会には、耳に心地よく一見よさそうに見えて、内実は有害な誘いに満ちています。雑音に惑わされることなく神の声を最初に探すべき場所は「聖書のみ言葉」です。ミサで朗読される聖句やお説教を通して、また日常から聖書に親しむよう心掛けたいと思います。
神のメッセージは人を通して伝えられるといわれます。人との出会いを大切にして、誠実に接するよう心掛けて、神のみ旨を聞き取ることができることを願っています。
*キーワード2:「羊の名を呼んで連れ出す」(3節)
羊飼いは、羊に名前をつけて、名前を覚え、名前を呼んで、連れていってくださるのです。
「あなたを造られた主は今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ」(イザヤ43:1)
羊飼いである主は、私たち一人ひとりをかけがえのない存在としていつくしんでくださり、愛してくださっています。木に登った徴税人ザアカイに対して、イエスは「ザアカイ、急いで降りて来なさい」(ルカ19:5)と、なんと名前を呼んで招いてくださいました。主はいつも私たちのことを心に掛けてくださり、名前を呼んで招いてくださっています。
「羊の門」(7節)は、羊が何かに触れると安心するという習性に学んで、羊の脇腹が両サイドの柱に触れるくらい狭く作るのだそうです(『聖書を発見する』本田哲郎著、岩波書店)。主が呼んでくださる声に応えて、羊の狭き門を通って、主が導いてくださる豊かな牧場へと歩んでいくことができますように。 アーメン。
参考:(第一朗読:使徒言行録2・14a、36-41)・(第二朗読:一ペトロ2・20b-25)