2022年05月07日の聖書の言葉

5月8日 復活節第四主日 ヨハネ10:27−30

 そのとき、イエスは言われた。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 イエスが神殿の回廊を悠然と歩いているのを目敏く見つけたユダヤ人たちは、イエスを取り囲み「・・・もしメシアなら、はっきりそう言え」という。するとイエスは、「私は言ったが、あなたたちは信じない・・・」と。さらに、「あなた方は、私の羊ではないからだ」と言われます。ユダヤ人からすればイエスは、律法を守らず、好き勝手な振る舞いをして律法を知らない人々を"呪いじみた技"で誘導している危険人物と診ていたからでしょう。したがって、イエスが「私の業が私について証をしている」と話しても彼らは信じられないのです。イエスを信じない訳は"まず律法ありき"それに反する言動は、異端者であり、異邦人のする事としか考えられないのです。しかし、「私の羊は私の声を聞き分ける。そして彼らは私に従う。私は彼らに永遠の命を与える。・・・」と。

 確かに、イエスの発言は、ユダヤ人たちにとって聞き捨てならない言葉だったでしょう。ここでイエスは、自分に従う者を「羊」と呼びます。
 羊は家畜の中でも非常に臆病な動物で、羊飼いによって守られなければ生きていけないそうです。日本にも羊はいますが、オセアニア、欧州の国々では、人口よりも何倍もの羊が放牧されているのを見ることが出来ます。その羊は、"ほったらかし"状態の飼育ですが、必ず、羊飼いがいて朝、昼、晩、見回りをしています。日本のように羊専用の牧舎といったものはありません。石や木のフェンスに囲まれた広大な敷地の中で自由に放牧されているのです。ちょうどこの時期、羊は出産を迎え牧場の彼方此方で生まれたばかりの子羊を見ることが出来ます。そんな中でお母さん羊の育児放棄があるのです。これは羊に限ったことではありませんが、お乳を与えられない子羊が放置されたままなのです。そのために羊飼いは、早朝から放牧地を駆け巡り、その子羊を見つけては肩に乗せて家に連れて帰り、大きく成長するまで育てるのです。そして大きく成長したら、元の牧草地に返してあげるのです。

 世話を必要とする羊にイエスは、「羊は私の声を聞き分ける。・・・私に従う」と言われます。ある羊飼いの方から聞かされました。ご自分の飼っている「羊には、皆名前がついているし、それぞれ性格を知っていますよ」と。
 イエスは今日、その羊に、私に従うものには、永遠の命を与えると言われます。その永遠の命とは、永遠に神と共に生きる命のことであり、永久にこの世に生きるということではありません。そして"羊"である私たちは、羊飼いの神である父と子であるイエスといつも共にいて、かけがえのない存在として愛されているのです。そのことを絶対に忘れないで、今日も戴いた命を大切に活きましょう。

参考:(第一朗読:使徒言行録13・14、43-52)・(第二朗読:黙示録7・9、14b-17)