イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
聖書の中でイエスの宣教活動の中心であったガリラヤ地方、その真ん中に位置するのが今日の舞台となる湖です。福音書の中でその湖は、ガリラヤ湖、ゲネサレト湖、ティベリアス湖と名前が異なります。ガリラヤ湖とは、ヘブライ語からの呼称です。ティベリアス湖という呼称は、ローマ帝国の統治時代に使った呼び方です。そして今日のルカ福音書のゲネサレト湖は、当時、湖の西側にあった平原地帯ゲネサレトからとった呼称と言われます。また、旧約聖書の民数記、ヨシュア記ではキネレト湖とも呼ばれています。いずれも同じ湖ですが、執筆した年代によって、福音史家によってそれぞれ異なっているのです。
さてイエスは大勢の人々を教え、慰め、癒していた為、"どこにも行かないで欲しい"という人々の愛着を後に、ゲネサレト湖畔まで来ました。ここにもイエスの教え、慰め、癒しに与りたいと集まった群衆のために、イエスは二艘あった舟の一艘のシモンの舟に乗り、岸から少し離れた所まで漕がせ、人々に向かって話したと記しています。
イエスは、自然の原理現象をうまく利用し海岸から離れ浜に向かって話します。すると海からの風に声が乗り、浜にいる人に声が届くのです。話し終えるとイエスは、シモンに向かって「沖に出て網を降ろし、漁をしなさい」と言われます。それを聞いたシモンは"無理ですよ、先生。私たちは漁で生計を立てている者ですよ。普通、漁は夜中から明け方にかけてするので、太陽が昇ってからしませんよ"と思ったでしょう。しかし、シモンは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と半信半疑ながらイエスの風貌、人を癒すミラクルパワーの持ち主だから、イエスを敬って応えたと思います。
ところが網を降ろすと「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった」。慌てたシモンは他の仲間に合図して呼び寄せました。すると二艘の舟とも沈みそうになる程、魚が獲れたのです。この現実、この大漁にシモンは、イエスの言動が尋常でない事を体感したのです。体感したシモンは、イエスに畏敬を感じ「主よ、私から離れて下さい。私は罪深いものです」と言葉が出た。シモンも他の者もこの現実を認め、全てを捨てイエスに従う者となるのです。
"イエスの呼びかけ"、しかし、忙しい現代において気づくのが難しくなっています。それはネット社会の影響が強いと思います。これもフランシスコ教皇の語る"無関心のグローバル化"なのでしょうか。不思議なこと、その不思議に気づいたら、思い巡らしてみませんか。その出会いの中に何かが観えてきますよ。
参考:(第一朗読:イザヤ6・1-2a、3-8)・(第二朗読:一コリント15・1-11)