2022年02月04日の聖書の言葉

2月5日 日本26聖人殉教者 (マタイ28:16ー20)

 そのとき、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

 

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 今日の箇所はイエスの復活後、弟子の11人に出現された場面です。失意に暮れた弟子たちを励ますために準備されたイエスの言葉ではありません。神のご計画を実現するために、これから始まる弟子たちの言動を再教育するため、生前彼らに告げていたことの実現です。そしてその再会場所は、ガリラヤで弟子たちと初めて出会ったあの"出会いの場・原点"、そこに行くように指示されたのです。弟子たちは、その場所でイエスに出会い、ひれ伏したとあります。

 殆どの弟子たちは、すでに復活したイエスに出会っていましたが、再度、記念すべき出会いの場所でもう一度出会う事で、それまで以上に畏怖を感じさせるからでしょう。しかし「疑う者もいた」とあります。再度イエスを目前にしながら、まだ疑う弟子がいた・・・。この意図する言葉は何でしょうか。真にこれこそ時代を超え、現代に届ける言葉ではないでしょうか。いつの時代であっても洗礼を受けた人が、信仰を深め、主の為に喜んで活動した者たちばかりでは無かった。つまり、自分にとって都合の良い神への信仰だったという事でしょう。

 そんな私たちに向かって「私は天と地の一切の権能を授かっている・・・父と子と聖霊の名によって洗礼を授け・・・教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と復活のイエスの力強い言葉が、心に響きます。不甲斐ない、意気地のない者である私たちに、弟子たちを通して"あえて"この言葉を贈って下さったのです。

 その言葉が今日祝う"日本26聖人殉教者"の祝日に読まれる意義は、殉教者一人ひとりの生き方にその真髄を見る事ができるからでしょう。特に、京都から長崎の西坂の丘までの道、26聖人の足跡を歩かれた方には、何をイエスが伝えたかったか微かに聞こえて来るでしょう。26聖人殉教者は、神の言葉を、イエスの生涯の出来事を通して"真理の言葉"である事を最後まで彼らの生き様で貫かれたのです。それを目の当たりにした当時の大勢の人々は、彼らの姿を見て洗礼に授かった方が少なくなかったのです。さらに不条理な当時の棄教への凄絶な弾圧に耐え忍びつつ、命を捧げた人々も数知れない程出ていることが、日本キリシタン殉教の史実として残されています。

 今日の福音から、イエスが弟子たちに言った最後の言葉を心に銘記しなさいと殉教者を通して伝わってくるでしょう。まだご自分の信仰に迷っておられる方、これから信仰を考えておられる方、是非、この日を機に京都から長崎への道を歩んで見ませんか。必ず、聖人たちからメッセージを預かるでしょう。

参考:(第一朗読:ガラテヤ2・19-20)