わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
イエスは〝霊〟の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
ルカ福音史家は、書の初めにこの福音書が真実に基づいて書き記した書であることを強調します。書に書かれている言葉は、史実であり、その証拠として、出来事を史実通り記述することで確認出来ると記されます。それは、また、み言葉が、言葉と行い・つまり出来事を通して確かなものであることを証するからです。
今日の福音の特徴が「神のことばの主日」を意図しているからでしょう。
さて福音の内容は、イエスがお育ちになったナザレの出来事4章の14節からです。イエスは、ユダヤ教の家族に生まれ育ったユダヤ教の一員でした。イエスは、大人になると、ヨルダン川で洗礼を授けていたヨハネのもとへ行き、洗礼を受けた後、40日間荒れ野で誘惑を受けられました。そして悪魔の誘惑を終えて、"時が来るまでイエスを離れた"悪魔と別れ、"霊"の力に満たされてガリラヤに帰られました。
いよいよ本格的なイエスの公生活の始まりです。イエスの評判は、始まるまえから地方一帯に広まっていたとありますが「その評判」とは、どの評判なのだろうか。悪魔に打ち勝った評判なのでしょうか。不明です。そして、イエスは安息日、ナザレの会堂に集まった人々の前で聖書を読み聞かせるため立たれました。この朗読の際、イエスは「お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった」とありますが、適当にその箇所を選んだように思われません。その時、必要なみ言葉が選ばれているようです。
この不思議な働きは、現在も体験される方も多いと思います。何かを願う、また望むとき、必要なものが、必要な時に与えられることです。イエスが会堂で話される時も、すでに神は準備されていたのでしょう。それはイエスの働きの主旨であり、この世に遣わされた使命なのです。「貧しい人に福音を告げ知らせるために・・・主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」と読まれました。真にイエスご自身の使命をご自身で話されたのです。
当然、会堂で聞いた人々は驚かれたでしょう。「すべての人の目がイエスに注がれていた」と記していることで解ります。更にイエスは「今日、あなたが耳にしたとき、実現した」と話されました。つまり、神の言葉は、救いを待ち望む人が耳にしたとき実現すると言われたのです。あなたは聞く耳を持っていますか。
参考:(第一朗読:ネヘミヤ8・2ー4a、5ー6、8-10)・(第二朗読:一コリント12・12ー30)