2021年10月23日の聖書の言葉

10月24日 年間第30主日「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」(マルコ10:49)

 今日の福音には躍動的な場面が観られます。その躍動の人が、盲人バルティマイです。いつものように彼は、エリコで道端に座って物乞いをしていました。その時、彼は騒めきで大勢の群衆が、エリコから出て行くことに気づきます。それがナザレのイエスの移動だと知ると物乞いそっちのけで、いきなり大声で「ダビデの子」と叫びます。叫んで、叫んで何とか自分の声がイエスに届くように、必死になってバルティマイは叫び続けます。叫び声はイエスに向かって「私を憐れんでください」と、周りの人の制止も聞かず、イエスに懇願したのです。彼の叫び声を聞いたイエスは、彼の切願を受け止められました。すぐに立ち止まって弟子に「呼んで来なさい」と。しかし、連れてきたのは弟子たちではなかった。弟子たちは、むしろ彼を制止していたと思います。だから呼ばれた盲人と一緒に喜んだのは人々で、その人々が「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」と言ったのです。おそらく弟子たちは、"唖然としていた"。そんな光景が目に浮かぶ様です。ここにまだ弟子たちのイエスのみ旨への習熟のなさ、利己的な心の姿勢を知らされます。

 さてバルティマイの「叫び」、それに呼応するイエスの「呼べ」は、音で表現した"秘跡の出会い"ではないでしょうか。さらにイエスは、上着を脱ぎ捨て、躍り上がって喜ぶバルティマイに優しく「何をして欲しいのか」と尋ねられます。即座に「先生!目が見えるように」。イエスは彼の願いを察知していたでしょう。イエスに全面的信頼を持って正直に、ストレートに願うバルティマイを愛おしくさえ思われたのではないでしょうか。「あなたの信仰があなたを救った」。盲人は、すぐ目が見えるようになり、イエスに従ったとあります。「真剣に願うなら必ずその願いは叶えられる」とイエスは言われます。つまり、駆け引きなくバルティマイのように真剣に、必死に願う、祈ることがあっただろうか。"奇跡の出会い"、その事をバルティマイによって伝える今日の福音であると思います。

 出会いのご経験をお持ちの方は、大勢いらっしゃると思いませんが、少なくないと思います。その多くの方々が「召命」という出会いに授かって、司祭、修道者になられている方もいらっしゃいます。また救われたという体験から、この幸せの「喜び」を戴いたから、この喜びを大勢の人々に伝えたい。そんな気持ちの方々もいらっしゃるのではないでしょうか。全ての人に喜びの出会いの機会はあります。神に信頼して真剣に願うとき、その出会いにいつの日かあなたにも・・・。