2021年10月09日の聖書の言葉

10月10日 年間第28主日「持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。・・・従いなさい。」(マルコ10:21)

 今日の福音箇所から今夏開催された東京パラリンピックでパラアスリートの話した言葉を思い起こされます。「どんなに辛い苦難や厳しさにあっても、常に前向きに前進することによって、必ず、道が拓けてくる」と。同じ様な境遇にある者への力強い励ましの言葉でした。そして今日の福音からも、その言葉を聞くことができます。どの様な苦しい状況であっても神とイエス・キリストを信じる者こそ明日には必ず、明るく豊かな者に変えられると。神は貧しく小さな者をあえてお選びになりました。なぜなら彼らこそ真に素直で誠実であり、み言葉を生活に生かすことのできる人だからです。そうした人こそ神の望まれる人であり、神からますます信仰を豊かに戴き、神の約束の地を受け継ぐ人とされるのです。それでは「何が私を、私たちを豊かにさせるのか」、「何によって私・私たちは豊かになることができるのか」。それについて福音は答えています。

 今日登場する青年、彼が真摯な人であることは、「走り寄って、跪いて尋ねた」という表現から理解できます。さらにその青年は真剣にイエスに「どうすれば良いか」と尋ねます。イエスの質問に対する青年の口からは「勿論、毎日生活の中で実践しています」との答えでした。ところが意地悪とも思えるイエスの指摘は「あなたには一つ欠けているものがある」と。人間誰でも一つや二つ欠点はあると思います。ましてや自分を観るとき二つどころか、数えられないくらいあることに気づきます。しかし、イエスの青年に言った言葉は、決して"いじめ"では無いことが解ります。「彼を見つめ、慈しんで言われた」と前置きしています。確かにイエスは、これほど誠実な青年を見たことがなかった。ご自分の弟子に、と期待したかも・・・。しかし現実は、「気を落とし、悲しみながら立ち去った」とあります。なぜ悲しかったのか。それはこの青年がイエスを愛し、イエスに従うことが永遠の命への道であることを感じ取っていたからです。大金持ちでなかったら、この青年は直ぐにイエスに付き従ったかもしれません。しかし青年は「立ち去った」のです。それはこの青年の悩み苦しんでいた事の解決にならなかったのです。

 今日の福音のメッセージ、それは金持ちの青年を非難することではありません。むしろ青年の金持ち故に持たされた「葛藤」、そこから解放されることに繋がらなかったのです。「小欲知足」、貧しくても少しのもので満足できれば、幸せな人生を送れるということです。お金持ちの皆様、司祭、修道者の皆様、どのように今日の福音を戴かれますか。