聖霊とは、聖書の中で霊そのものとして存在していません。聖書の中で霊(プネウマ・新訳)は、風、息、呼吸のような空気の移動(ル-アッハ・旧約)として表現されています。そこから霊とは、実体ではなく、むしろ実体に与える力を表現する言葉と言われます(聖書学者雨宮師)。
今日の福音は、イエスが最後の晩餐で弟子たちに語られた「告別説教」と呼ばれる箇所です。特に今日の聖書の箇所では「自分は去っていくが、その代わりに弁護者 (助け人であり慰め主となる者)を送ります。その弁護者とは、父の元から出る真理の霊で聖霊です」と。それによって弟子たちは、真理を全て悟ることになると言われます。
どうしてイエスは、このようなことを話されたのでしょうか。イエスはこれから先、弟子たちに起こる過酷な出来事を事前に察知していたからです。過酷な出来事、それは弟子たちが迫害される時が必ず来ること、その時に「弟子たちをつまずかせないためです」と断言されます。また聖霊は、イエスが啓示された神の真髄、イエスに起こった色々な出来事の意味を深く悟らせて下さるとも言われます。
生前、イエスは色々な場で色んなことを語って下さった真実の意味、それらを理解するには、言葉の奥に隠された意味を、祈りの中で、出会いの中で、体験をすることが大切なのです。つまり、イエスが折に触れ語られたことは、この事だと気づかされる事によって、イエスの意図する本当の意味を理解できるからでしょう。聖霊はイエスの語りの意図を復唱する事なく、一人ひとりが、その真意を理解するように、それぞれのレベルに応じて、イエスの大切な言葉を気づかせ悟らせるのです。弟子たちの悟りは、まさに聖霊によるお告げの悟りです。
現代のあなたの抱える問題はなんですか。その問題に対してどのように解決し、残された人生をどのように生かさせて戴くか、心を開いて主に全てを委ね、聖霊の光を注いで戴きましょう。必ず、あなたの今日までの体験を通して、何かに気づかされ、そこから何かヒントが得られるかもしれませんね。