2021年05月16日の聖書の言葉

主の昇天 信じる者には次のようなしるしが伴う(マルコ 16:17)

 今日は主の昇天の祝日です。今日の福音の終わりにイエス様が弟子たちにお話した後「天に上げられ、神の右の座に着かれた」と天に昇られたことを記しています。天に上げられるとは、どういうことなのでしょうか。それは「神の右の座に着くことを表現するのに相応しい為であって、物理的な現象を強調することではないと言われます。また一人の人間が、受難と死を乗り越えて神の右に着かれたと言うことだけでなく、元々故郷である天に帰ったと言うことでもあるのです」(聖書学者雨宮師)。この父の右の座である天への帰還日をお祝いするのが"主の昇天"なのです。

 さて今日のメッセージは、第一朗読で言われた「地の果てまで私の証人となる」と弟子に告げています。そして「全世界に行って、福音を宣べ伝えなさい」と告げられました。それはイエスと共に歩み、最後イエスの復活を確証した弟子たちに告げたのです。さらに弟子たちに理解できることを期待し「信じる者には、次のしるしが伴う」と言われました。「彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」。

 このしるしをどのように理解すれば良いのか。キリストの受難、死、復活、昇天、聖霊降臨の出来事は、何を私たちに問い掛けているのか。弟子たちの面前で起こった出来事、そしてそれらが何を指しているのか。その出来事の意味する事は何であるか。それらを区別して考えていくと、イエスがそれら出来事の中に含蓄させた大切なことを気づかないだろうか。

 現代社会は常に結果だけが求められ、それに至るプロセスをないがしろにされます。それは言い換えれば、出来事だけが先行し、それを読み取る力に欠けていると言う事かもしれません。現代において、プロセス抜きの見た目・外観だけで評価される傾向が強くなると、誰もプロセスの中で見られる"しるし"を知ることなく、全てが"当たり前"の出来事だけで終わってしまいます。勿論、結果も大切な部分ですが、それ以上に大切なことは、結果の中にあるのではなく、プロセスの中で生じる小さな出来事の中に観る"しるし"なのです。

 それらの"しるし"は、何を意味しているのか、何を伝えようとしているのか、それは人によって"しるし"も異なるし、内容も異なるでしょう。何故ならそれは神が、その人に一番相応しい時、最高のものを、最高の形で気づかせるからです。あなたへの"しるし"は、何でしょうか。