「霊」がイエスを荒れ野に送った。つまり、神の霊が・神の望みが、イエスを荒れ野に送った。何故、「荒れ野」であったのか。しかも40日間もの長い間。旧約聖書を見るとそれが判明する。シナイ山でモーセが神から十戒を受ける前、40日40夜、飲食なしで過ごした(出34:28)。またその間、サタンから誘惑を受けたが、野獣と一緒におられ、天使も仕えていた。と記述されているが不思議な箇所である。野獣と一緒、「なんで?」この箇所もイザヤ書の11章6節から10節を読めば理解できるだろう。つまり野獣たちは、害を与えるどころか小さな子供がそれらを導くと記述されている。おそらく天使もいたが、野獣たちも小さな子供を守っていたのである。ということは、神の創られた被造物(自然界のもの全て)との共存共生は必然であることがわかる。ところが現代において共存共生どころか、全て人類によって破壊されているのが現状である。さて40日間は、モーセ同様、イエスも人として生きるためには、人の受ける全ての誘惑を体験することが求められた。特に現代医学から見ても、人間にとって身体的、精神的限界は40日間とされている。したがってイエスは神性だけでなく、人性として徹底的にその限界を熟知されたのである。その間、イエスはサタンから誘惑を再三再四受けたが、イエスはそれらを試練とし、現代に生きる私たちに歩むべき道を教えている。その後、洗礼者ヨハネが捉えられたことを知ったイエスは、ヨハネからバトンタッチされたかのように、宣教の拠点となるガリラヤへと赴き、ヨハネと同じ言葉「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語り、福音宣教の始まりとしている。この箇所から全ての計らいは、神のご計画、神の望みであることを知らされる。