2021年01月31日の聖書の言葉

律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになった(マルコ1・22)

弟子を召出した後、早速、イエスは安息日に会堂で教え始めた。人々は非常に驚いたとあるように、これまでの律法学者のような教え方ではなかったようです。権威ある教えとは、悪霊を追い出すほどの、力のある強烈な教えだったのだろうか。確かにイエスは、悪霊に向かって「黙れ」と言われています。しかし宣教の初めから、そのような暴言を吐かれたのだろうか。当時の社会がそれほど無秩序で乱れていたということなのか。いろんなことが想像されるこの箇所です。そんな中でイエスの悪霊に対する毅然とした姿勢からは、権威に屈服したり、強者に媚を売ったりする優柔不断な性格は見当たりません。つまり、俗人に見られる私利私欲、唯我独尊、独断と偏見、迎合主義、権力主義、上昇志向のようなものを優先する人ではなかった。むしろ、全く正反対のものを弟子たちは、イエスから観たのです。だから"すぐに捨てて"従うことができたのでしょう。出会い、そして魅了された。魅力の魅とは「得体の知れない力で人を惑わす」という意味を持っています。しかしイエスの場合、得体の知れないものではなく、ご自身をはっきりと己が認めた者に表されるのです。「来なさい」と呼びかけ、呼んだ者と共に留まられるのです。得体が知れないどころか、弟子はイエスがどんな方であるかを、はっきりと自分の目で見て確認したのです。もしかして、あなたはイエスを疑っていませんか。