そのとき、民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
ルカ福音書は、大切な場面でイエスが祈っておられたことを繰り返し伝えています。今日の福音書でも、洗礼を受けた直後に「祈っておられる」と、「天が開け」「聖霊が目に見える姿でイエスの上に降って来た」「わたしの愛する子という声が聞こえた」という不思議な出来事が3つ起こったことが記されています。
十二使徒を選ばれたのは、「イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(6章12節)翌朝のことでした。またご変容の場面でも「祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」(9章29節)と記されています。オリーブ山(ゲツセマネの園)での「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」の祈りの折にも「天使が天から現れて、イエスを力づけた」(22章43節)と記されています。そして十字架上では「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」(23章46節)と、祈りの内に息を引き取られました。
イエスにとって祈りとは、父なる神と特別な親しさの中にある大切な時間であることを、そのご生涯を通して教えてくださったのです。
主の洗礼の主日に祈ります。
父なる神よ、ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスにあなたは聖霊を注ぎ、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と宣言されました。洗礼によって新たに生まれ、あなたの子とされたすべての者を、あなたの愛する子として迎え入れてください。私たちがイエスに倣い、祈りの人となって、あなたの御旨に適う者として生きていくことができますように。 アーメン。
参考:(第一朗読:イザヤ40・1-5、9-11)・(第二朗読:テトス2・11-14、3・4-7)