そのとき、イエスは十二人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から来ていた。
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
ガリラヤ湖は小高い丘に囲まれた場所にあります。おそらくイエスは湖を背に、弟子たちに向けて、これからイエスの弟子として受けるであろう様々な迫害について話されました。
「貧しく」「飢え」「泣き」「憎まれ、追い出され、ののしられ、汚名を着せられる」とき、「喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。だから幸いなのだ」と宣言し、励ましてくださったのです。
続いて4つの「不幸」について話されました。「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、「富んで」「満腹し」「笑い」「褒められる」とき、有頂天になって神の存在を忘れることがないように警戒しなければなりません。「順風満帆な時の神忘れ」に注意しなければならないのです。
祈りましょう。
人からの評価を優先し、苦しむ人の存在から目をそらすことがありませんように。苦しい時も喜びの時も、いつも共にいて支えてくださる神様を見失うことがありませんように。 アーメン。
参考:(第一朗読:エレミヤ17・5-8)・(第二朗読:1コリント15・12、16-20)