2026年06月20日の聖書の言葉

6月21日 年間第12主日 マタイ10・26-33

 そのとき、イエスは使徒たちに言われた。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。

 だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の福音で朗読されるマタイ福音書10章は、イエスが12人の弟子をイスラエルの町や村に派遣される場面から始まります。ユダヤの人たちのなかにはイエスに対して反感をもつ人たちも多いので、イエスは弟子たちを遣わす前に「狼の群れに羊を送り込むようなものだ」(マタイ10・16)、と弟子たちを気遣います。

 派遣された村で危険に晒されそうになったら、「他の町へ逃げて行きなさい」(マタイ10・23)と自分の身を守るよう指示されます。それなのに、今日の福音書は、「人々を恐れてはならない」、とちょっと聞くと真逆のような言葉から始まります。どうやら、「恐れる」ことと、「逃げる」こととは違うぞ、とおっしゃったようです。

 イエスご自身も身の危険を察して何度も群衆から逃れておられます。イエスが弟子たちに人々を恐れるなと言われるのは人々に迎合するな、という意味かもしれません。本当のことを伝えると、間違っていることを認めたくない人は怒り出します。イエスの教えや行動のなかには、その当時のユダヤの人の律法に違反していると思われるものがあったのです。それでも、イエスは人々の前で教えることを決して止められませんでした。

 イエスがおっしゃった「恐れるな」とは、人々に本当のことを知らせることを恐れるな、ということなのでしょう。私たちも真実を告げる時にしり込みしたくなる気持ちに打ち負かされないよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:エレミヤ20・10-13)・(第二朗読:ローマ5・12-15)