2025年08月30日の聖書の言葉

8月31日 年間第22主日 ルカ14・1,7-14

 安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。

 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。「婚宴に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、あなたは恥をかいて末席に着くことになる。招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことになる。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 イエスが婚宴に招待されたときに上席に座りたがるひとの様子をみて、たとえをお話になります。その内容は「招待した人から勧められるまでは、末席に座っていましょう」です。なぜ、こんな社会人のマナー講座のようなお話をされるのかといえば、私たちが御父に自分の行いを認めてもらいたい、という願望を抱いてしまうことが多いからでしょう。

 御父が招いてくださる宴席では、わたしたちはみな招いてくださった方へお返しができない弱い立場に置かれています。そんな立場で、自分の行いは御父に認められているのだから、他の人よりも御父に近いところにいるべきだ、などと思えるひとはいないはずです。

 イエスは御自分を招いたひとたちにも、お返しを期待できないひとを宴会に呼ぶよう諭され、他人に手を差し伸べるときに見返りを求めない姿勢を尊ばれます。わたしたちはお返しを他の人に求める必要はありません、御父がすべて報いてくださるからです。招かれる立場になっても、招く立場になっても、御父は私たちひとりひとりをみておられます。

 御父はお返しを求めることなく弱い立場にあるわたしたちを招いてくださってるのですから、招かれた私たちの立場に違いなどありません。
 すべてのひとが同じ立場で御父のもとへと招かれていることに感謝して招きに応えることができるよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:シラ3・17-18、20、28-29)・(第二朗読:ヘブライ12・18-19、22-24a)