2025年08月16日の聖書の言葉

8月17日 年間第20主日 ルカ12・49-53

8月17日 年間第20主日 ルカ12・49-53

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。
 今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
 父は子と、子は父と、
 母は娘と、娘は母と、
 しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
 対立して分かれる。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 「そうではない、むしろ分裂だ。」というイエスの言葉を聴いて、ふとイエスのお話で極端に扱いが違う人達が出てくるたとえ話を思いだします。金持ちとラザロの話(ルカ16・19-31)では、生前、贅沢に暮らした金持ちは、炎の中で喉の渇きを潤すこともできない苦しみの中にいるのに、貧しかったラザロは宴会の席でアブラハムの横に座っています。有名なタラントンのたとえ(マタイ25:14-30)では、預かった5タラントンを使って5タラントンを儲けたしもべは、さらに多くの財産を任せられるようになり、預かった1タラントンをそのままにしていた僕はその不誠実をなじられるだけでなく「外の暗闇」へと追い出されます。

 どうやら、イエスは今まで私たちが些細な違いと思って、うやむやにしてきたことに対して、決して些細なことではないぞ、と怒っておられるようです。

 「主人の思いを知りながら何の準備」もしなかった僕、あるいは「主人の思いどおりにしなかった」僕はひどく罰せられます(ルカ12:47)。御父が望んでおられることを知っていながら実行しなかったとしたら、御父のみ旨を裏切るとしたら、たとえ些細な事柄であっても御父は厳しく罰せられる、と大声で叫んでおられます。

 イエスはすべての不誠実、不公平を正すために来られたはずです。わたしは「分裂」をもたらすために来た、と言われたイエスのお言葉は「些細なこと」と思う心とはキッパリと決別しろ、と言われているように聞こえてきます。
 些細なこととは思わず、御父が望んでおられる行いができるよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:エレミヤ38・4-6、8-10)・(第二朗読:ヘブライ12・1-4)