
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。

♰主のご復活おめでとうございます!
ヨハネ福音書には、マグダラのマリアが一人で墓に行き、イエス復活の証人となったことが記されています。マグダラ(「塔」の意)は、イエス一家が暮らしておられたナザレから30㎞程離れたガリラヤ湖西岸の漁港として栄えた街でした。大工だったイエスが仕事に訪れたことも考えられる所です。現在2千年前のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)などの遺跡調査が進められています。
マグダラのマリアはイエスによって人生が大きく変えられた女性です。「七つの悪霊を追い出していただいた」(ルカ福音書8章2節)と記されています。また、イエスは神の国を宣べ伝えながら、町や村を巡って旅を続けられたこと、十二使徒や病気を癒していただいた婦人たちも一緒であったことが記されています(8章1節-3節)。特にマグダラのマリアは悪霊に支配され誰よりも苦しい中から救い出していただいた喜びと感謝から、誰よりもイエスを愛していたのです。
「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに」
イエスが十字架上で死を迎え(金曜日午後3時ごろ)、墓に葬られた後、日の入りと共に土曜日(安息日)が始まりました。移動や作業などが禁じられる一日です。土曜日の日の入りと共に安息日が終了し、日曜日(週の始めの日)がスタートします。マグダラのマリアは日の出を待ちきれずに、誰よりも早く暗いうちから行動を開始しました。そして、イエス復活の最初の証人となったのです。
「見た」
本日の福音書に3回「見た」が登場します。マグダラのマリアが「墓から石が取りのけてあるのを見た」はギリシア語"ブレポー"(単に目で見た)、すなわち目に映った程度であったことが分かります。一方で、ペトロが中に入って「亜麻布が置いてあるのを見た」は"セオレオー"(注意深く見る)という単語が使われています。太陽が昇り明るくなっていたのでしょう。墓の中に入ってしっかりと目に焼き付けたペトロでしたが、その意味までは分からなかったのです。続いてもう一人の弟子(=ヨハネ)も入って来て「見て、信じた」は"エイドン"(心で見て信じた)という単語が使われています。
祈りましょう。
日々の忙しさを言い訳にして、人との関わりや日々の出来事を通して語ってくださっている神様の思いに心を向けてこなかったことを反省しています。ヨハネが空の墓に入って見て信じたように、心の目であなたからのメッセージを見つめ、理解して歩んでいくことができますように。
七つの悪霊に取りつかれ苦しむマグダラのマリアを救い出し、キリスト復活の第一の証人としてくださった神様の御恵みを讃えます。イエスと共に歩み、十字架の下にあって最後の瞬間まで従ったマグダラのマリアの信仰に倣う者となることができますように。 アーメン。
参考:(第一朗読:使徒言行録10・34a、37-43)・(第二朗読:コロサイ3・1-4 又は 1コリント5・6b-8)