
※福音個所は長いので聖書をご参照ください。

ペトロは十二使徒のリーダーでした。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」(マタイ福音書16章18節)とイエスは言われました。ペトロは初代のローマ教皇なのです。
イエスが捕えられたとき、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マルコ福音書14章50節)。本日の福音箇所には、ペトロだけが(ヨハネ福音書では、ヨハネも一緒に)遠く離れて、イエスが捕えられていた大祭司の屋敷の中庭までやってきたことが記されています。イエスのことが気にかかっていたのでしょう。
居合わせた人から「この人も一緒にいた。同じガリラヤ出身の仲間だ」と言われたペトロは三度否定します。すると突然鶏が鳴いた。「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出して、激しく泣いたと記されています。
ペトロがイエスを知らないと言って鶏が鳴いたとき「主は振り向いてペトロを見つめられた」と記されています。どのようなまなざしで見つめられたのでしょうか。想像してみてください。
誕生したばかりのキリスト教のリーダーであるペトロが「最も大事な場面で、怖くなってイエス=キリストを知らない」と言ってしまったことは、世間的には汚点として隠したい事柄のはずです。ところが四福音書全てに記されているということは、ペトロ自身が自らの過ちを人々に語ったからに違いありません。このような弱い私を赦し受け入れてくださったキリストの愛を、大いに語ってきたからではないないでしょうか。
祈りましょう。
ペトロは、主イエスがすべてを赦し、十字架に架かってくださるまでに自分を愛してくださっていたことを知りました。ペトロの涙は、後悔の涙から喜びの涙となりました。
主は決してゆるされることはないと思える大きな過ちを受け入れて赦して下さる方です。私たちのすべてを受け止めて祝福くださる主の愛に心を開いて生きていくことができますように。 アーメン。
参考:(第一朗読:イザヤ50・4-7)・(第二朗読:フィリピ2・6-11)