そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」
アンダーラインは、5つの基本的人権である「食」「住」「衣」「健康」「自由」を表しています。「最も小さい者」とは、これら5つのどれかが奪われ、抑圧されている人のことです。そして「最も小さい者」=「王、イエス・キリスト」であると言われるのです。
地震などの災害に遭い避難生活を強いられている人たちに、給水や食事を提供する姿を報道で見ることがあります。炊き出しに参加した経験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。ホームレスの方たちに、定期的に炊き出しを行っている方々もおられると思います。これらは緊急避難的に必要不可欠なことです。
しかし、今日の聖句で王が語ったことは、少し異なっていると思うのです。
「あらためて原文をもう少していねいに見ていきますと、従来『食べさせてくれた』と訳されてきたところは、原語"エドカテ・モイ・ファゲイン"『わたしが食べることを提供してくれた』です。ものを与えるではなくて、『食べていけるようにした』ということです。『飲ませてくれた』も、水をめぐんでもらったということではなく、『井戸を使わせてくれた』というような含みです」
本田哲郎神父『聖書を発見する』(岩波書店)より
神にかたどって創造され、神が御独り子をお与えくださるほどに愛し抜いてくださったすべての人が、幸せな人生を歩むことができますように。
特に「私にしてくれたことなのだ」とまで言ってくださった、最も小さい者である「衣食住に事欠く人」が、「食べていけるようになる」こと、すなわち、仕事に恵まれ、安定した生活を実現することができますように。また「社会から疎外されてきた人」が「井戸を使わせてくれた」、すなわち、地域社会の一員として受け入れられ、人間の尊厳が守られた生活を得ることができますように。
基本的人権が奪われている方々に、もっと関心を寄せて、できることから少しずつ支援し、関わらせていただきたいと願っています。
※キーワード:王であるキリスト
「メシア」はヘブライ語で「油注がれた者」という意味の言葉です。「出エジプト記」には、王の就任の時に油を注いだとの記述が見られます。次第に、理想的な統治をする王を指す言葉となり、さらに、ユダヤ人を苦しみから救う者(=救世主)を指す言葉となりました。「メシア」のギリシア語訳が「クリストス」(=キリスト)です。
「イエス・キリスト(イエス=キリスト)」と呼ぶことは、「ナザレのイエスは救世主(キリスト)である」と信仰を宣言することなのです。
♦お知らせ
「み言葉のわかち合い」をお読みいただきましてありがとうございます。
教会暦では本日が今年度の最終主日にあたり、来週から新しい年度がスタートします。
新年度(12月3日「待降節第1主日」)からは、福音書から一つのポイントを取り上げて、皆様の黙想の一助となることを目指して、趣を変えてこのコーナーを続けていきたいと考えております。どうぞ引き続きお読みください。
参考:(第一朗読:エゼキエル34・11-12、15-17)・(第二朗読:一コリント15・20-26、28)