2023年06月10日の聖書の言葉

6月11日 キリストの聖体 ヨハネ6:51-58

 そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

 それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 ヨハネ福音書6章には、4福音書すべてに記されている「5つのパンと2匹の魚」で5千人を満腹にさせたというイエスの奇跡(1~15節)、そして夜にガリラヤ湖の湖面を歩いて弟子たちの舟に乗り込み、カファルナウムに渡ったことが記されています(16~21節)。本日の福音箇所は、イエスの後を追って湖を渡ってきた群衆たちとイエスとの対話の場面です。

 51節と58節に「天から降って来た生きたパン」「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」という聖句が繰り返されています。「天から降って来た」は、イエスが父なる神のもとから派遣された方であることを示しているとともに、ユダヤの民がかつて荒れ野で神から与えられた食物である「マナ」を連想させるものです。「イエスの肉を食べ、血を飲む」ことが「永遠の命」への道であることをイエスは明言されました。

 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤの信徒への手紙2章20節)

 51~54節は「ご聖体に関する教え」と言われる箇所です。私たちが永遠の命に与るために、イエスはご自身の「肉と血」を差し出してくださり、食事の形で遺してくださいました。ミサ聖祭の中で、「命のパン」は共同体の人々の体内に受け取られ、イエスと御父との交わりへと導いてくださるのです。
 「このパンを食べ、この杯を飲み、私は主の死を告げ知らせる(典礼聖歌集97番)」
 ご聖体の恵みに与り、喜びのうちに永遠の命を生きてゆくことができますように。 アーメン。

*キーワード1:天から降って来たパン(マナ)
 第1朗読は「申命記」8章です。「申命記」は、約束の地を目前にした民に対して、モーセが神から与えられた掟を語りかけたものです。40年に及ぶ荒れ野での旅は食べ物にも事欠く厳しいものでした。神は「マナ」を降らせて民を養ってくださいました。民は神が自分たちを生かしてくださっていることを体験することができました。

*キーワード2:聖体拝領(コムニオ)
 「聖体拝領」のラテン語は「コムニオ」という語です。「コムニオ」は「コミュニケーション」+「ユニオン」、すなわち「共に」+「一つになる」ことから、「聖体拝領」は、「キリストに与る(交わる)」ことを表した言葉です。

参考:(第一朗読:申命記8・2-3、14b-16a)・(第二朗読:一コリント10・16-17)