2022年05月14日の聖書の言葉

5月15日 復活節第五主日 ヨハネ 13:31−33a,34-35

 さて、ユダが晩餐の広間から出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

み言葉の分かち合い

み言葉の分かち合い

 今日の福音で「栄光」を受けた、「栄光」を与える、と4回も栄光が出てきます。そして、なぜあの密告者のユダが、イエスから離れ、出て行ったことが、栄光と繋がるのか。その訳を少し見ていきましょう。

 まず ①ユダによって人の子が栄光を受けた。②神も人の子によって栄光をお受けになった。③神が人の子によって栄光を受ける。④神も人の子に栄光を与える。しかも「すぐに与える」という。この栄光とは何なのでしょう。辞書には「輝かしい誉れ、光栄」、そしてギリシャ語δοξαζωドクサゾー「誉・評判が高い、賞賛する」とあります。つまり、周りの人々から褒め称えられることです。迎合するのではなく、真摯に褒め称えるのです。
 今日の福音では、ユダの裏切り行為によってイエスが栄光を受けると言われます。それはただ受けたのではなく、受ける前にイエスは受難、そして死を御自ら享受することによって栄光を受けるのです。また神の栄光を証しすることで、神も人の子によって栄光をお受けになるからです。イエスは、この話をしてから弟子に「今しばらく、私はあなた方と共にいる。でもあなた方は私を捜すだろう。・・・」と、別れの言葉を告げたあと「新しい掟」を弟子たちに与えます。その掟「互いに愛し合いなさい」を、繰り返し伝えます。そして最後に「それによってあなた方が私の弟子であることを、皆が知るようになる」と話されています。
 「栄光」で始まり、その栄光の理解を求め、その栄光はあなた方にも与えられるためには、「互いに愛し合うこと」それが私からの「新しい掟」として話されました。新しい掟「互いに愛し合うこと」、これは一体何を意味しているのでしょうか。現実に私たちは、互いに愛し合うよう努めています。しかし、「栄光」を得るまでに至っていません。それはまだ十分に「栄光」の意味を理解していないから、あるいは実践に乏しいからではないでしょうか。それは、①私たちが日常生活の中で、世間の人々から良い評判を得るような行いを示していないから②人から褒め称えられるような、拍手喝采されるような行動を実現していないから③感動、感心、喜んでもらえるような言動を与えていないから④発信していないから⑤人と深く関わっていないから⑥今も人々の心をイエス様に、神様に、対する見方を変えさせていないからでしょう。このような沢山の「から」が要因でイエス様に、神様に「栄光」を証ししていないからでしょう。

 「新しい掟」、それはキリスト信者一人ひとりが、イエスの教えてくださった神の愛を日々の生活の中でいつも覚醒していなければ実現に繋がらないでしょう。

参考:(第一朗読:使徒言行録14・21bー27)・(第二朗読:黙示録21・1ー5a)