今日の福音では、天国とは種が芽を出して成長するようなものであると言います。また最初は小さくても、やがて大きく成長するからし種のようなものであるとも言っています。さらに「神の国は、見られる形で来るものではない。また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたの只中にある」と言われます。つまり、神の国、天国は、どこか場所的なものではなく、実に私たちの只中にすでに実現していると言われるのです。
その根拠として次のように話されます。「また、イエスは言われた。『神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない』」。
神の国、すなわち天国というのは、ある人が地面に種を蒔いておくと、本人が知らないうちに、蒔かれた種が成長してゆくようなものであると言います。つまり、蒔いた人が知らないうちに、種が芽を出し、茎をつけ、そして穂をつけてその先に実をつけるようなものだと。神の国というのは、確実にしかもゆっくりと成長すると言っています。「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる」。植物の成長、そこには、種、芽、茎、穂、実、収穫というプロセスがあります。種からすぐに実はできません。時間を要しますが、順に成長してゆくのです。つまり、良い土地に落ちた種は、自然に実をつけるから、あなた方が心配する必要はないと言います。天国とはそういうものですというのです。だから、わたしたちは唯、種を蒔き続けるだけで良いのです。種の成長に必要な肥料、水、雑草の除去は、農夫であり管理人である神様がして下さると言われるのです。
もう一つの天国のたとえ話は、「天国はからし種」と言います。天国というのは、初めは小さくても、やがて成長して大きなものになるといいます。最初は目に見えないほど小さい種ですが、やがてそれは大きな鳥が宿るほどの木のように成長するのです。このたとえ話は、からし種のような小さな私たちの共同体、教会であっても、神の計画に私たちが惜しむことなく協働し続けることによって、いつの日か大きな木に成長するという約束をしてくださるのです。小さな教会だから、ほどほどにという気持ちを捨て神様の約束に信頼して、喜んで御言葉の種まきを続けましょう。