「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。ここでいう命とは"自我"でないことは確かです。なぜなら良い羊飼いとはイエスであって、俗人を指していません。つまり、イエスは羊であるすべての人間のためにご自身の命を捨てました。しかも私たち人間の罪を赦し、罪を贖い永遠の命へ導くために、ご自身の命を神に捧げてくださったのです。それは、決してご自身の命を無碍に捨てたのではなく、私たち人間が罪から赦され、罪を贖うためでした。さらにその罪人を永遠の命へ導くためでした。
何故そうするのか、そうされたのか、信仰を持っている者でも理解に苦しむところです。この点が他の宗教と完全に異なる点なのです。福音・Good Newsよき知らせとは、他の宗教でも同様のものがあります。しかし、異なる点は、イエス・キリストは、言葉だけで終わらなかったということです。
イエス・キリストは"あなた方が永遠の命を受けるため、福音を信じなさい。信じることによって永遠の命に預かる。またあなた方の罪が、信じることによって赦される"。なぜ対価もなしに唯"信じる"だけで罪が赦されるのでしょうか。その理由が、イエスの生涯で明かされるのが福音書であります。何故ならこの福音書は、真理である神の言葉を認めたものであり、神の望みをイエスご自身が身を持って成就されました。
み言葉は、常に日々の生活の中で活かされ、活かすものです。しかし、活かすためには、実践が伴います。どんな小さなことでも、毎日、まず自分にできることから始めませんか。イエスを信じるために。