このイエスの言葉に真っ先に従ったのが、シモンとシモンの兄弟アンデレでした。彼らは漁師で、湖で仕事をしていた時に、イエスと出会ったというより、イエスから「わたしについて来なさい。人間をとる漁師に」と声を掛けられて従った。何故その呼び掛けだけで従うことができたのか。しかも"すぐに網を捨てて"と。当然、これらの表現は、それ程イエスの呼び掛けた声に威厳があったということでしょう。あるいは彼らは事前にイエスの存在を知っていた。そのイエスにやっと出会った。だから喜んで従った。しかし、後者よりも前者の方がこの箇所では、優位であろう。とすると"どうして"という疑問が残る。またゼベダイの子ヤコブもその兄弟ヨハネも同じように従っていく。つまり、イエスの最初の言葉を「聞いて」、直接出会って目の当たりに「見て」、納得してイエスに従う「ついていく・彼に留まる」とヨハネ福音書にもあった信仰のプロセスが、召出しのプロセスにも繋がっていくことに気づかされる。「信仰イコール召出」、「信じるイコール従う」ということである。あなたは今も信じていますか、イエスのみ言葉が心に響いていますか。