権威を持った人は、その権威で人を動かし、また動かされた人も責任を転化するため誰かを誘う。
この動きを知る時、現代にも似た動きがあるように気づかされます。
つまり、偽善行為はいつの世も同じパターンなのです。
確かに、イエス様が十字架にかけられるまでの経緯をたどる時も、同じであることに気づかされます。
さて税金納入に関するファリサイ派の試みは、イエス様と皇帝を天秤にかけて問うています。
無知な答えを期待していたのだろうか。
そうだとすれば、よほど彼らはそれ以上に無知だと言わざるを得ないでしょう。
イエス様の答えは、彼らの期待を裏切りました。
疑心暗鬼になるとき、我が"無知の知"を悟ることができますように。