人間の中には要領のいい人、要領のわるい人がいます。
でもそれは決して頭の良し悪しではなく、忠実であるかそうでないかだと思います。
ある人が昔こんなことを言っていました。
要領のいい人は頭のいい人、要領の悪い人は頭の悪い人だと。
私はそうではないと思います。
要領のいい人は、適当にうわべだけを装飾する人に似ています。
要領の悪い人は、人からバカにされながらも一所懸命努力します。
全ての成り行きをご存知なのは神様です。神様は決して無駄な人を創造していません。
あなたは要領よく生きる人、要領の悪い人、どちらですか。
日々の生活の中で、イエスの望まれる道を選ぶことができるよう祈りましょう。
なぜ私たちは、他人と比べるのでしょうか。
それは誰でも心の中に、人を愛することよりも人に愛されたい意識の方が強いからです。
またその現実は、目に見えるものでも明らかでないと人は満足しないのです。
愛は、お金や物の量で計れますかと、冷静に考えれば誰でも解ることですが、人は皆、目に見るもので愛の大小をも測るのです。
ところが神の愛は、目で測る事ができません。日々の生活の中で、イエスのみ言葉を通して神の愛を体感することができるよう祈りましょう。
私たちは「自分に優しく他人に厳しい」ところがあります。
イエスの言う「互いに愛し合いなさい」とは、私たち無意識の中にある"自分は特別"ではなく、「自分も他人も皆同様に主に愛されている者同志」なのです。
そのことを具体的に教えるために神様は、私たちにイエス様をこの世に贈ってくださったのです。
イエス様は、すべての人に恵みを与える為、すべての人の罪を赦し、罪を贖い、救いの道へ導くために、この世に来て下さったのです。
そのことを私たちは、日々の生活を通して意識することが大切です。
それを忘れるとき、エゴの世界、自己満足の世界に陥るのではないでしょうか。
いつも赦して下さるイエス様の愛を忘れないように祈りましょう。
互いに赦し合い、兄弟姉妹のように愛し合い共に祈り励まし支え合う。
何故なら、あなたも私もみんなイエスによって罪を赦され今ここにいるのだから。
人を責めるのではなく、無視することでもなく、互いに良いところも悪いところも認めて、受け入れあう心を養い育てる。
難しいですが、難しいからこそ実践するやりがいがある。
これこそイエスが私たちに求めていることだから。