イエスはみ言葉を実践された後、必ず、弟子たち、時に民衆を試みられます。
なぜならイエスは、お話ししたみ言葉を本当に弟子たち、民衆が理解しているかどうかを確認する為だからです。
ひょっとして弟子たちも民衆と同レベルで、奇跡的な出来事にだけ心まで奪われ、み言葉を理解していないと考えたからでしょう。
み言葉、それを聞いたものは、それが真実であることを信じ、実践し、確かで在ることを確信して生きること。
これこそ信仰の始まりではないでしょうか。
さあ、あなたも感激して喜びに浸るだけでなく、今日聴いたみ言葉を実践して見ませんか。
アーメン。