主よ、わたしたちは、一人ひとりがあなたの招きに自ら応えて信仰者の仲間入りをいたしました。
とはいうものの、人間としての不完全さを維持したままです。
それでもあなたは、「そのままでいいんだ」とおっしゃいます。
あなたが選び招いてくださったからです。
だからこそ、わたしは「宣教者」として生きていくことができます。
不安定な現代社会にあって、確固たる信仰者としての証しを、普段着の日常現場で見せていくことができますように、いつも支えてください。
アーメン。
今日は主の復活の主日です。弟子たちでさえも、主の復活に直面して納得が、合点がいかないようです。
わたしたちの身近なところにも、合点のいかない、理解しにくい出来事はあります。
まるっきり初めての体験だと、なおのこと、ことばを失います。
主よ、復活はわたしたちの救いの実現でもあります。
このことに感謝して日々を生きているのでしょうか。
多くの方々をその輪の中に招き入れ、共に前に進ませてください。
アーメン。
人は苦しみの極みに達した時には、何をどうすればいいのか分からず、わけのわからない言葉を発することがあるやに聞いたことがあります。
しかし、イエスさまは「父よ、わたしの霊をみ手に委ねます」といって息を引き取られたのです。
そして、ご自分を責め立てた人々のゆるしをも願われ、祈るのです。
神はどんな時でもわたしたちをお見捨てにはならないのです。
一日一日を安心と救いの安堵感の中で過ごさせてください。
アーメン。
世の親御さんのすべては、病の苦しみで床に伏している我が子のために、自分が身代わりになってあげたいと思っています。
それほどにお互いの繋がりが濃いのです。強いのです。
それを実行に移してくれたのがイエスさまです。
誰のために? わたしたち弱い、しかも、罪深い人間の救いのためにです。
その救いを保証してくれたのが「復活」です。
わたしたち一人ひとりに救われた実感があるでしょうか。
主よ、日々の日常生活の中で、感じさせてください。
アーメン。