生きている人間で、過ちを犯さない人はいないでしょう。
その中身には違いがあっても、「あやまち」です。
過ちを思い出すことは、時には意気消沈したりします。
その時大事なのは、そのことをその日の祈りとして奉献できるかどうかです。
「祈り」にできたらいいですね。
主よ、今日のわたしの過ちを受けとめてください。
癒してください。
アーメン。