2026年09月05日の聖書の言葉

9月6日 年間第23主日 マタイ18・15-20

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。

 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の朗読箇所で、イエスは弟子たちに「教会」のなかで罪を犯した人に対してどのように向き合うかを説いておられます。イエスは兄弟が自分の罪を認めて悔い改め、共同体の一員として留まれるように3段階のステップを示されます。わたしは、そのなかでも最初のステップ、「二人だけのところで忠告しなさい」という言葉がとても印象に残りました。

 誰かに過ちを指摘しなければならないとき、大勢が見ている前ではなく他の人が見ていない所で行うようにすることが大切です。大勢の前で注意すれば当然その人への周囲の見方に影響するからです。注意された人の自尊心を損なうこともあるでしょう。ですから、イエスが先ず罪を犯した人を守るために、二人だけのところで忠告しなさいと告げられたのです。

 今日の福音朗読箇所のすぐあと、兄弟の罪は何回赦すべきでしょう、とイエスに尋ねたペトロに対して、「七回どころか七の七十倍までも赦しなさい」(マタイ18・22)と答えておられます。ただ、「兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして悔い改めれば、赦してやりなさい」(ルカ17・3)とあるので、黙って赦すのではありません。まずは、その人を戒めなければなりません。そして、戒めを聞いた人が罪を認めて悔い改めることが赦すときに大切になります。

 わたしたち自身が兄弟に対して罪を犯すこともあるでしょう。兄弟から自分の罪を戒められるときに、たとえ辛くとも戒めを受け入れられる自分であれるよう、祈りましょう。

参考:(第一朗読:エゼキエル33・7-9)・(第二朗読:ローマ13・8-10)