2026年08月15日の聖書の言葉

8月16日 年間第20主日 マタイ15・21-28

 そのとき、イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

祈りへの招き

祈りへの招き

 今日の福音書に出てくる地名、ティルスとシドンは、現在のシリアにあたるフェニキア南部の地中海に面した海岸都市です。イエスは主にガリラヤ地方を中心にして宣教されていたのですが、この時はイスラエルから北に離れた異邦人の土地へも宣教に赴かれていたことが分かります。

 当然、イエスのことを聞きつけて集まってくる人たちの中にはユダヤの民ではない人も大勢います。今日の福音書に描かれている娘の病気を治したい一心でイエスに会いに来た婦人もその中の一人でした。

 弟子たちはイエスがガリラヤ地方で集まって来る群衆のなかに病人がいれば、何人でも癒される姿を見てきています。その弟子たちが「この女を追い払ってください」(マタイ15・23)とイエスに告げているのですから、ティルスとシドンでは群衆に対するイエスの対応が異なると感じていたのでしょう。

 今日の婦人の姿は、ルカ福音書に記されている不正な裁判官と未亡人となった婦人の姿(ルカ18・1-8)を思い出させます。不正な裁判官であっても、「あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう」(ルカ18・5)と考えます。

 イエスが婦人にむかって「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と告げられた言葉は、婦人の信仰を試す言葉ではなく、弟子たちに求め続けることの大切さを諭すための言葉だったのかもしれません。今日の福音書の最後の言葉は、信仰があればユダヤの民も異邦人も等しく救われるという、イエスの励ましのように心に響きます。イエスがいつも私たちを励ましてくださっていることに感謝して、祈りましょう。

参考:(第一朗読:イザヤ56・1、6-7)・(第二朗読:ローマ11・13-15、29-32)