
そのとき、イエスは人々に言われた。「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

今日の福音朗読箇所の直前には、「あなたがたはわたしを見ているのに、信じない」(ヨハネ6・36)というイエスの言葉があります。残念なことですが、見ているからこそ信じられない、ということがありそうです。
当時のユダヤ人にとって神とは預言者を通して語られる存在です。その神が人間の姿になって自分たちの前に現れたと言われても、何を言われているのかを理解するのは私たちが想像する以上に難しかったでしょう。私たちは、ミサの中でご聖体拝領をすることに慣れてしまっているので、イエスが「わたしが命のパンである」と言われても、不思議な気はしません。
ところが、当時のユダヤ人は神から与えられるパンがわたし(イエス)である、と言われて、「どうしてひとが天から降って来たなどといえるのか?」とか「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか?」と疑問に思うだけでなく、あからさまに嫌悪感をしめす人もいました。
イエスについてきた弟子たちの多くがこの話に拒絶反応を示してイエスのもとを去った(ヨハネ6・66)くらいですから、今日の福音の内容はイエスが最も伝えたいことであると同時に、受け入れるのが難しい箇所であるに違いありません。
イエスが多くの
見かけに惑わされることなく、イエスを受け入れることができるよう祈りましょう。
参考:(第一朗読:知恵3・1-6、9)・(第二朗読:ローマ8・31b-35、37-39)