
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」

使徒たちが、「信仰を増やしてください」とイエスに頼んだのは、強い信仰をもてば自分たちがもっと大きな働きができる、と考えたからかもしれません。イエスの返事は、「ほんの少しでも信仰があるなら陸の木を海に生えさせることもできる」、でした。この返事を聞いたら誰でも、「では自分にはほんの少しの信仰もないのだ」とがっかりするはずです。イエスが、信仰の多い少ないなど関係ない、信仰の有無の問題だ、と返事されているからです。
弟子たちには信仰がなかったのでしょうか? 溺れそうになったペトロはイエスに「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか(マタイ14:31)」と言われます。また、悪霊を追い出せなかった弟子たちはイエスに、「信仰が薄いからだ(マタイ17:20)」と一喝されます。イエスがペトロや弟子たちに「信仰が薄い」と言われたのは、イエスの言葉をペトロや弟子たちが疑ったからです。イエスが弟子たちに、「自分にできるのだろうかと疑ってしまうのは私の言葉を信じないからですね」、と諭される場面が聖書には度々でてきます。
それでも、なお弟子たちはイエスに付き従って自分たちの信仰を新たにしていきました。だとすれば、「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう(ルカ17:6)」、というイエスの言葉は、弟子たちには「あなたの信仰を増やす必要はありません。私を信じなさい」という励ましの言葉に聞こえていたのだと思います。
イエスが聖霊を通して私たちをいつも励ましてくださっていることを心に留めて、祈りましょう。
参考:(第一朗読:ハバクク1・2-3、2・2-4)・(第二朗読:2テモテ1・6-8、13-14)