神よ、あなたに似せて創造されたわたしたちです。
ひたすら、わたしたちの生きる道は、あなたに向けられているのです。
あなたは今日もゆるし続けられます。
先にわたしたちは赦されているのです。
ただ感謝の祈り、心を捧げているんですか、とわたしたちは問われています。
日々、小さなことしかできませんが、ありがとうの心を大事にさせてください。
アーメン。
主よ、わたしたちは、困ったことが起きると、気持ちが落ち込んでしまいます。
どうにかしてそこから抜け出そうとしてもがきます。
そして、いつもあなたに助けていただいているのに、不平不満が募るのです。
あなたにつながっていることのありがたさ、それゆえの喜びを感じていないのです。
今もいつも、ゆるされ続けていることを感じ、喜びを沸きあがらせてください。
アーメン。
主よ、あなたは、いつもわたしたちを見守っていてくださいます。
また、かつてイスラエルの民を、あなたの慈愛の心から荒れ野へ導き、約束の地に連れていかれたように、今のわたしたちにも、同じいつくしみを注がれます。
それでも、わたしたちの世には悪と背きが蔓延しています。
あなたの慈しみに勝るはびこりかたです。
と言っても、あなたは忍耐強くわたしたちの立ち戻りを待ちつづけます。
そして赦す時を待っておられるのです。
どうぞ、わたしたち一人ひとりをもっと素直にさせてください。
アーメン。
神よ、わたしたちは、よく他人を裁いていることがあります。
しかも、そのことに気づかないのです。
いわゆる「習慣化」しているのでしょうか。
自分はそうしていながら、他人がある人を裁いているのを見て、その人を非難するのです。
そして、いやな自分に気づきます。
これはあなたからの恵みです。
あなたの豊かな慈愛をないがしろにはできません。
日々の生き方の中で、「悔い改め」の大切さを感じさせてください。
アーメン。
主よ、わたしたちは、しばしば、何処かは分かりませんが、大事なもの、ことを置き忘れることがあります。
「忘れる」のですから、わざとしているわけではないのです。
だからこそ、本来の自分を取り戻す機会を作る必要を感じています。
今、自分自身を省みる時、自分が自分に期待していた姿でしょうか。
カトリック教会の典礼暦は四旬節です。
信者だけではなく、すべての人が、人としての自分らしい姿を保ち、発展させているでしょうか。
必要ならば、すべての人に「悔い改め」の恵みをお与えください。
アーメン。