主よ、わたしたちは信仰をどのように表せばいいのか、よくわかっているわけではありません。
断食、施し、善行は、いつも真実な信仰表現として大事にされてきたのですが、今の「わたし」にとって、それは「何?」と問われたとき、どう答えればいいのでしょう。
ラファエルはトビトとトビア親子に言いました。
「神を賛美し、神に感謝しなさい」と。
その中で、「断食」をもって祈ることは善いことですよ、と。
今のわたしにとってできる具体的なことは何でしょうか。
知らしめてください。
アーメン。
神よ、わたしたちの祈りは、そのほとんどが「願いの祈り」です。
でも、それをどうしても省くことはできないのです。
あなたの力添え、恵みがなければ苦しみを、辛さを乗り越えることができないからです。
その上、自分の都合に左右されています。
いわゆる身勝手なのです。
それでも、あなたは聞き届けてくれます。
そこで、ヨナはありがとうの祈りを捧げたのです。
わたしたちも「ありがとう」の祈りも忘れず、大事にさせてください。
このような祈りをさせていただき、ありがとうございます。
アーメン。
主よ、わたしたちの心と体の健康は、相関関係にあると思います。
一方が元気であれば、他方も調子がいいのです。
心が幸せを感じれば、体はもっと元気になります。
そして、それはあなたからの恵みなのです。
ますます豊かになっていきます。
このことを実感できる日々を重ねていきたいです。
今日という日を、祝福し、お恵みください。
アーメン。
神よ、わたしたちがこの世に生を受け、成長していくにあたり、「母」はなくてはならない人です。
身近にいて、いろいろなことを語り、教え、伝え、見せてくれます。
その中に、「母の教え」なるものがあります。
得てして、「口癖のように」言っていたことがそれにあたるのでは、・・。
大きくなってから、よみがえってきます。
時を超えて、誰にでもあり、そして、みなが分かり合えることばかりです。
イエスさまに同じようになさったマリアさま、わたしたちが、母の教えを大事に、よりよい人生を今日も送れますようにとりなしてください。
アーメン。