主よ、今、子どもたちは夏休みを過ごしています。
昔のことを言ってはいけませんが、以前は、お金はなくても家族の温かみで、わたしたちの心も、日々も満たされていたように思います。
今、生活は豊かになりました。
しかし、日々の充実感はどうなんでしょうか。
共通して語り合い、感じあうものがなくなったといっても過言ではないような気がします。
でも、わたしたちは信仰の仲間です。
時代、年齢、職種に関係なく、そっと見守ってくれている「神」がいます。
キリスト・イエスを中心につながっているのです。
「神の家族」としてのわたしたちお互いを大事にしたいです。
わたしたちの主、イエス・キリストによって。
アーメン。
神よ、あなたを信じ、仰いで生きているわたしたちですが、どうしても利己的、閉鎖的になってしまいます。
つまり、あくまでも「わたしの信仰」であり、「わたしたちの信仰」になっていないように感じるのです。
これでは、信仰を伝えていくという大事な業が果たせないままとなりそうです。
子どもたちの夏休みも後半に入りました。
先ずは、子どもとともに祈り、ミサに参与し、団欒のひと時を持ちたいものです。
そして、信仰の仲間に、交わりの輪が広がっていくことを願っています。
「信仰家族」の絆を大事にし、お互いに善を行い合える交わりを目指しますように。
アーメン。
主よ、日々わたしたちを支えてくださり、ありがとうございます。
イエスよ、あなたのこの世における大事な役割は、すべての人の救いを成し遂げることでした。
それが、十字架の死であり、復活でした。
でも、その業は今でも続いています。
そして、あなたを慕う人を通して、さらに広められていきます。
そうです。わたしたち一人ひとりが、救いの言葉を語る人になりますように、さらに支えてください。
アーメン。
神よ、あなたはいつも、人間にとって良かれと思うことを勧め、励ましてくださいます。
年齢に違いがあっても、それぞれに応じた感性をもって、あなたの招きに応えようとします。
一人でそうするよりも、家族みんなが一緒になってそうすることが、はるかに力を得、元気をいただきます。
何よりも、「わたしたち」の一体感を、同時に感じることもできます。
同じ信仰者であることを喜びと感じる日々を送らせてください。年齢、タレントは違っても、そのことが家族の豊かさになっていきますように。
わたしたちの家族を見守ってください。
アーメン。