どこにいても、どのような状況の中でもわたしたちは祈ることができます。とはいっても、イエスさまは大事なことを前にして、よく「静かな」「ひとり」で祈る時間をお作りになります。
わたしたちへの勧めのように思えます。
自分にとって大事なこと、それをまず悟らせてください。
そして、ゆっくりと、静かになれる「場」を日常の中で見つけることができますように。
今日、このことを大事にできますように。
アーメン。
今日は「敬老の日」です。
自分に託された身近にある仕事を果たすこと、それが大きな力となって、家庭も社会も発展・成長してきました。
それを成し遂げてくださったのが、人生の先輩方です。
わたしたち一人ひとりがその恩典を今、享受しています。
そして、新たな魅力を加味して後世に引き継がれていきます。
先輩方に感謝し、若い世代のためにも必要とされる恵みと力を願い、祈ります。
アーメン。
わたしたち一人ひとりは、完璧な存在ではありません。とはいっても、神から遠ざけられている存在者でもないのです。
むしろ、いつもその近くに招かれ続けています。
神のこの姿に気付いているでしょうか。
自分の意に沿わないといって、拒否し続けているのではないでしょうか。
主よ、あなたへの信頼のうちに、近づいていけますように、大きく手を広げて、一人ひとりを受け入れてください。
アーメン。
「同じ釜の飯を食う仲」として表現される典型的な仲間が、「家族」なのではないでしょうか。
以前は円卓を囲む姿がよく見られました。
しかし今では、親子で別々の時間に、さらにひどい時には違ったレシピをいただく姿があるやに聞きます。
喜びをもって食事をとることが、心身の健康を維持、豊かにできる一つの要素になっているような気がします。
主よ、老若男女が喜びと真心をもって一つの食卓を囲む生き方を大切にさせてください。
アーメン。